データエンジニアのキャリアは、最初から明確に描けるものとは限りません。目の前の課題を解くうちに、気づけばデータの世界に深く入り込んでいた——そんなキャリアの築き方もあります。
CARTA ZEROでVP of Dataを務めるpeiさんも、その中の一人です。新卒入社当初は、バックエンドからフロントエンド、インフラまで幅広く担うソフトウェアエンジニアでした。手探りで問題を解く中でデータエンジニアリングに出会い、隣のチームのピンチに自ら手を挙げて異動。やがて、データの課題を解決するために、経営に近い役職まで自ら求めるようになりました。
最初から目指すキャリアがあったわけではない。では、なぜそこまで役割を広げていったのか。peiさんの歩みを通じて、今いる環境でキャリアの可能性を広げるヒントを探ります。
近森 淳平(ちかもり じゅんぺい)
株式会社CARTA ZERO VP of Data(@pei0804)
2018年、CARTA HOLDINGSに新卒エンジニアとして入社。広告主向け広告配信事業 Zucksでサーバサイドエンジニアとして従事。2019年頃よりAWS, Google Cloudを中心としたデータエンジニアリングおよびデータ基盤構築を主担当。2022年にデータ基盤をSnowflakeに全面移行。2024年より3年連続で「Snowflake Data Superheroes」に選出。2024年、CARTA ZERO Vice President of Data(VPoD)に就任。
「面白い」を追いかけ技術に没頭したキャリア初期
ーー まずは、プログラミングに関わり始めたきっかけを教えてください。
大学では経済学部、部活は剣道部で、プログラミングにはまったく触れていませんでした。
その後、ゲームにのめり込み、スポンサーをつけて自分でチームを立ち上げました。ただ、ゲームで生計を立てるのは厳しいと感じ、そのままニートになろうかと考えていたんです。
そんなとき、親から「家を出ていくか、手に職をつけろ」「ものづくりが好きならプログラミングやITはどうか」と言われて。家を出たくなかったので、そのままIT系の専門学校に入りました。
ーー そこでプログラミングの面白さに目覚めたのですか。
いいえ。最初は三角形や四角形を描いてみるところから始めたのですが、何が面白いのかがわからなくて。これでどうやってX(当時Twitter)のようなサービスをつくるんだろう、と思っていました。
面白いと思うようになったのは、データベースに出会ってからです。実際にECサイトをつくってみましたが、プログラムとデータベースを組み合わせれば、いくらでもサービスを形にできる。普段使っている世の中のサービスも、これなら自分でつくれそうだと思いました。そこからプログラミングに没頭しました。

ーー その後、新卒でVOYAGE GROUP(現CARTA HOLDINGS)に入社されましたが、その頃のpeiさんはどんなエンジニアでしたか。
バックエンドもフロントエンドもインフラも、何でもやるエンジニアでした。ただ、関心があったのはソフトウェアエンジニアリングだけで、それ以外のことにはほとんど興味がなかったんです。
入社の動機はお金を稼ぎたいという程度でしたが、ものづくりをしている瞬間は楽しかったんですよね。当時の私にとって、ソフトウェアエンジニアリングは面白いパズルのようなものでした。そこだけに集中していたからこそ、技術的なスキルを伸ばせた部分もあったと思います。
名前も知らない問題を解き続け、データエンジニアに
ーー データエンジニアリングに携わるきっかけは何だったのですか。
入社3年目に入ったころ、当時携わっていた広告主向け広告配信事業のプロダクトを作り直すことになったのがきっかけです。当時のシステムは、データを集計して見せるレポーティング基盤が使いにくいと言われていました。今でいうデータ基盤にあたる仕組みですが、当時はまだそう呼ばれていませんでした。
※参考:ぼくのかんがえる最高のレポーティング基盤|AWSで実践!Analytics modernization
そこで私に届いたのが、「Googleみたいなレポート作れるようにしてよ」というオーダーです。Googleはインターネット広告業界の王者ですからね。当時は正直、何を求められているのかも理解できませんでした。
それを再現しようと動き始めたのが、私のデータエンジニアリングの始まりです。
ーー 手がかりのない状態でどう進めていったのでしょう。
同じようなビジネスをやっている他の会社が上手に解けている以上、それは設計の問題です。そうならば、方法論はあるはずだと考えて勉強しました。解くべき課題は2段階ありました。まず、大規模なデータを扱うアーキテクチャをどう設計するか。次に、データをどう整理すれば扱いやすくなるかというモデリングです。当時の日本には情報が少なかったので、海外の情報も含めて調べました。
1年ほどの取り組みを経て、「どうやらこれがデータエンジニアリングらしい」とわかったのが入社3年目の終わりごろ。そこから、この領域は面白いと感じるようになりましたね。
ーー 国内に情報が少なかったということは、同じ問題に悩むエンジニアも多かったのでは。
そうですね。一番しんどいのは、自分が向き合っている問題に名前があることすら知らず、手探りで解くしかない状況です。しかも当時は、日本語で読める情報がほとんどありませんでした。だから、自分が理解した手法を「最低限これだけ知っておけばいい」という形で記事にまとめ、発信するようにしました。
すると、同じ問題に取り組んでいたエンジニアと出会えるように。コミュニティに参加したり勉強会で登壇したりするうちに、社外にも仲間ができていきました。

ーー データエンジニアリングに取り組む中で、仕事の捉え方はどう変わりましたか。
プログラミングだけで価値を出すことに限界が見えてきました。会社に利益をもたらすキャッシュポイントがプログラミングとは別のところにあるなら、コードを書くだけでは十分な価値を出せません。
だったら、ビジネスそのものに踏み込まないといけない。そこから、ソフトウェアの外へ越境して、事業全体をどう良くするかという視点で仕事を捉えるようになりました。
問題を解きたいなら自分の役割を広げればいい
ーー レポーティング基盤の仕事をきっかけに、データエンジニアになったのですか。
その頃は、まだソフトウェアエンジニアと名乗っていました。当社には、もともと「◯◯エンジニア」と肩書きで役割を区切る文化がありません。 「フルサイクル開発」といって、一人ひとりがプロダクトにオーナーシップを持ち、役割を分けず、権限と裁量を持ってアイデアが顧客に価値を届けるまでのサイクルを担当します。ソフトウェアの領域に閉じず、必要なことは全部やるのが当たり前なんです。
転機は、隣のデータサイエンスチームで中心となっていたメンバーが辞めることになったときです。そのチームではもともと「開発が大変だ」と言っていたので、その人が抜けるとなると、組織としてまずい状況でした。
自分にできることはないかと、そのチームのリポジトリを見てみました。すると、どれも名前のついた解き方の知られている問題でした。1年前にのぞいたときはわからなかったのに、レポーティング基盤に取り組んだ今なら解ける。それで「私が行きます」と手を挙げて異動しました。
ーー 異動してからは順調だったのでしょうか。
最初のうちは、データ基盤をほぼ一人で担っていました。日々、原因のわからないバッチエラーが起きて、とにかく自分でなんとかしなければならない。正直、当時はしんどかったですし、面白くもありませんでした。
しかも、この状態はかなり脆いものでした。データ基盤が止まれば、社内の業務にもプロダクトにもすぐ影響が出るのに、担い手は自分一人しかいません。
そこで、まずは次年度に入社する新卒を自分のチームに配属してもらいました。あわせて、誰がリリースしても間違いが起きにくいように、CIを徹底して「CIが通ればリリースしていい」という状態をつくったんです。リリースの判断を人の勘から仕組みに移し、自分が全部を見ることを手放しました。
この頃から、データエンジニアと名乗るようになりました。自分がデータの領域に軸足を置くことを、周囲に伝えやすくするためです。
そうして最適な組織の形を探り、データエンジニアという役割をつくっていくなかで、当時の組織設計が適切ではないとわかってきました。そこで、チームを一度解体して新しくつくり直しました。
ーー データエンジニアリングに関わるようになって、見えてきたことはありますか。
「データだけを見て解ける問題はほとんどない」ということです。データは日々の業務のなかで生まれるものです。分析しても何も見えてこないとき、原因はたいていデータの質にあります。そしてデータの質が低いのは、データの元になる業務プロセスが整っていないからです。
だから、データを良くしたければ業務から変えるしかありません。業務に手をつけないままデータだけを活用しようとしても、たいてい上手くいきません。

ーー 業務にまで手を入れるとなると、なかなかハードルが高そうですね。
そうなんです。「これは会社の中で偉くならないと、事を為すことは無理だ」と思いました。業務システムを全面的に作り直そうと平社員の立場で提案しても、まず通りません。予算も人員も必要です。提案のたびに、上司に掛け合ってもらう必要がありました。
私の中では、データ活用と組織を良くしていくことは、ほとんど同じ意味でした。それを進めるには、それ相応の権限と裁量が必要になる。だから、自分から取りに行ったんです。
当時の社長とCTOに「Chief Data Officerになりたい」と申し出たところ、いきなり“Chief”は段階を飛ばしすぎだということで、まずはVP of Dataから始めることになりました。入社7年目のことです。
ーー 隣のチームへの異動もVP of Dataへの就任も、いつも自分から手を挙げてきましたよね。そういうとき、不安は感じないのですか。
いいえ。不安でしたし、今もずっと不安です。憂鬱だなと思うこともあります。でも、それはコンフォートゾーンから一歩出てチャレンジできている証です。だから不安なのは正常だと思っています。あと、どうせ仕事をするなら面白そうなほうを選びたいですから。
VP of Dataとして事業のつくり直しに挑む
ーー VP of Dataとして役割を広げた今、どんな難題に挑んでいるのですか。
いま取り組んでいるのは、業務システム全般の刷新です。先ほどお話しした「業務から変える」を、今まさに進めているところです。
目指しているのは、事業そのものをAIに対応できる状態(AI ready)にすることです。 まずは、CARTA ZEROの中にある情報や文脈が、ここを見ればすぐにわかる。そんな状態をつくりたいと考えています。
足元では、AI活用も進めています。たとえば、これまでベテラン社員が過去のデータを調べて対応していた社内の問い合わせ業務に、AIエージェントを導入しました。AIが問い合わせ窓口になったことで、ベテラン社員は自分の仕事に時間を使えるようになっています。
ただ、AIはあくまで人の力を増幅するものです。問いを立てられる人はAIを使って自分でどんどん進められますが、そもそも問いを立てること自体が難しいんです。
ーー AIが人の力を増幅するものならば、企業はAIとどう向き合うべきだと考えていますか。
私はよく、AIを「スーパーシューズ」に例えています。今の業務に取り入れれば、それぞれの作業が少し速くなる。履くだけで速く走れる靴のようなものです。ただ、その靴は誰でも履けるので、みんなが履けば差はつきません。かといって、履かなければ置いていかれる。今は、そういう状況です。
こうしたAIの使い方を、私は「戦術AI」と呼んでいます。今の作業にそのままAIを当てはめるだけなので、他社もすぐにまねできる。
差がつくのは、「戦略AI」のほうです。AIがあることを前提に、業務、データ、基盤を一気通貫でつくり直す。 そして、それをやりきる組織文化こそが、最大の競争優位だと考えています。

※出典:事業活動を AI Ready にする攻めと守りのデータエンジニアリング
ーー 2026年1月、CARTA HOLDINGSはNTTドコモ・電通グループとの業務資本提携のなかで、NTTドコモの連結子会社となりましたよね。NTTドコモグループに入ったことは、VP of Dataとしてどんな意味がありますか。
私としては前向きに捉えています。VP of Dataとしての仕事の重要性がより増したからです。
データは、その企業だからこそ持てる固有の資産です。 不動産と似ていて、まったく同じものをあとから再現することはできません。グループ傘下だからこそ扱える独自データで商流をつくっていく。変化そのものは大変ですが、それをエンジニアの立場でやれたら面白いと感じています。
ーー AIやデータを取り巻く環境が大きく変わる今、データエンジニアを目指す人にとってはどんなチャンスがあると考えていますか。
大きな転換期だと思います。データの世界には、アイデアはあっても実現が難しく「絵に描いた餅」で終わっていた話がこれまでたくさんありました。
それが今は、AIがあいだに入ることで実現が難しかったアイデアを実装し、実際に使えるところまで持っていけるようになってきました。さらに、以前は「SQLを書ける人がいない」「BIを使いこなせる人がいない」といった壁がありましたが、今は日本語でAIに問い合わせるだけでデータにアクセスできる場面も増えています。これまで「絵に描いた餅」だったものが「食える餅」になってきたんです。
以前は、データの取り組みに対して「それで儲かるの?」と見られることもありました。ですが、AIの広がりとともにデータの重要性が見直されています。だからこそ、データエンジニアは今のうちにどんな価値を出せるのかを示していくことが大事です。
「やります」と言えば任せてもらえる文化
ーー peiさんが自分から手を挙げて挑戦し続けてこられたのは、御社の環境も大きく影響していそうですね。
そうですね。自ら手を上げて「やります」と言えば、「じゃあ、権限を」と任せてもらえる環境があります。
その前提にあるのが、エンジニアが受け身で待つのではなく、自分からビジネス側に提案していく文化です。
ビジネス部門に「何をしたいですか」と聞いて、その答えを形にするだけではありません。「こうしたほうがいいと思うのですが、どうですか」と、こちらから持ちかける。決められたことをやるのではなく、自分たちで決めてやりきるところまでがエンジニアが出すべき価値だと考えています。
ーー 御社ほどの規模の会社で、そこまで能動的に動けるものなのですか。
スタートアップ企業であれば、能動的に動かなければ事業が前に進みません。一方で当社くらいの規模(CARTA ZERO、従業員約1,200名)になると、ある程度受け身でも仕事は回ってしまいます。構造的に受け身になりやすい。
だからこそ、この規模であえて「エンジニアリングで攻める」と掲げ、経営層にも推進するキーパーソンを置いています。グループ内にある日本最大級のデータを使って、事業の競争優位をつくっていく。その過程に、エンジニアが自分から踏み込める環境です。

ピンチの中にキャリアのチャンスがある
ーー peiさんは、一つの会社の中でデータエンジニアとしてのキャリアを拓いてきました。今いる環境で挑戦を続けてきたのは、どんな理由からですか。
私の場合、この会社にはこれまで積み上げてきた人脈や実績があります。ですから新しいことに挑戦するときに、「そもそも自分に任せてもらえるか」というところから始めなくていい。最初からその挑戦自体に集中できます。
一方、転職すれば人脈や信頼を一から築く必要があります。それにも1〜2年かかる。そう考えると、自分にとっては今いる環境で挑戦を続けるほうが、リスクとリターンが見合うと思っています。
もちろん、会社の方針やルールによってやりたいことがすぐにはできない場合もあります。ですが、そこで「この会社ではできない」と決めつけるのではなく、自分がその方針を変えられる立場に回れないかを考えるようにしています。
ーー では、今いる会社の中でデータエンジニアとしてキャリアを広げたい人は、どんなふうに機会を見つければいいのでしょうか。
私は、ピンチのときほどキャリアのチャンスが生まれやすいと思っています。組織が変わるタイミングや、まだ正解が決まっていない状況では、手を挙げた人が新しい役割を担いやすい。ヒーローチャンスは、むしろそうした大変な状況の中にあるんです。
データエンジニアリングは、たとえて言うなら“総合格闘技”です。技術だけでなく、ステークホルダーとの調整が得意ならそれも大事な仕事になる。価値の出し方はいろいろあります。
そして、もし社内で自分一人しかその役割を担っていないなら、一人でもいいからチームにする。社内で信頼を勝ち得たあとに、必要なら採用する。 ここはすごく大事です。
個人で動いているうちは、どこまでいっても「あなたが頑張っている」だけです。それを役割にして、チームにして、組織の仕事にしていく。そうすれば、今いる会社の中でもキャリアは広げていけるのではないでしょうか。
ーー 最後に、peiさんご自身がこれから成し遂げたいことを教えてください。
私がいまCARTA ZEROで取り組んでいるのは、「この人がすごい」を「この組織がすごい」に変えていくための仕組みづくりです。すべて完成したらどうなるのか、私自身まだ想像しきれていません。「できたら本当に面白い。でもできるかな?」と思うくらいの難しさがあるからこそ、やる価値があると感じています。
データやエンジニアリングについて自分なりの考えを持ち、自分の仕事の価値を自分の言葉で説明できる。そんな人と、一緒に取り組んでいきたいですね。

撮影:関口 達朗
「この組織がすごい」を一緒につくりませんか
CARTA ZEROでは、データとAIで事業をつくり直す仲間を募集しています。業務システムの刷新から、その上でAIを生かすためのデータ基盤づくりまで、取り組むべきことは数多くあります。
お任せしたいのは、技術だけで完結する仕事ではありません。業務やビジネスに踏み込み、自分の手がけたものが組織全体の基盤になっていく。そうした仕事に面白さを感じる方は、ぜひFindyの求人ページからご連絡ください。
