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気づいたら、20年。出くわすために余白をつくる、“やらない”という選択

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株式会社シュアルタ / 代表取締役

にしもつ(西本 卓也)

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「もっと成果を出さなきゃ」「スキルを増やさなきゃ」。そんな焦りに押され、やることを積み重ねていないでしょうか?けれど、本当に働き方を変えるのは“足し算”ではなく、“引き算”かもしれません。この企画では、エンジニアたちがあえてやめたことと、その後に訪れた変化をたどります。ムダをそぎ落とした先に残る、本当に大切な仕事や自分らしい働き方とは。誰かの“やらない選択”が、あなたの次の一歩を軽くし、前向きに進むヒントになりますように。


にしもつ(西本 卓也)です。

広島で夫婦だけの小さな会社をつくり、IT勉強会コミュニティやオープンソース開発などの活動を細々と続けています。2025年には PyCon JP(プログラミング言語Python の大きなカンファレンス)の座長を務めました。また視覚障害者のための画面読み上げソフト(スクリーンリーダー)NVDA と20年前に出会い、ずっと NVDA 日本語版に関わっています。

昔の話、特に自慢話をするシニアは嫌われると言われますが、私には自慢話のネタはありません。ただ何かに遭遇して、張り切って挑戦したり、逃げそびれて格闘したり、といったことを続けてきました。それが、ときどき周囲の人から「すごいこと」と評価されているのだと思います。

そんな私が、結果として「やらないままにしてきたこと」をいくつか並べてみます。どれも、決めたというより、そうなってしまったことばかりです。

テーマを選ばない

私は大学教員からエンジニアに転向し、フリーランスから経営者へと変わり、小さな勉強会から大きなカンファレンスまで運営に関わっています。計画的に専門家としての経験を重ねたように見えるかもしれませんが、キャリアを構築してきたという実感はまったくありません。

私の行動はいつも「気になることを見つけたんだけど、なぜか誰も気にしていない」といった状況から始まっています。

1999年の秋、出会った人から「視覚障害者がパソコンを使えるためのソフトがあるんだけど、ソフトの使い方よりもタイピングを教えるのに時間がかかる」と相談されました。同じころ私の運営するメーリングリストやWebサイトを知った人から「CVSというバージョン管理ソフトの本を書いてほしい」と声がかかりました。さらに当時、私は地域の若い芸術家たちの溜まり場に通い、運営のボランティア活動をしていました。

それ以前にも、それ以降にも、私はこんな具合に多種多様で雑多なことと関わってきて、今に至ります。どうして年齢や職種に見合ったキャリア戦略を考えず、目の前の面白そうなことにばかり手を出してきたのか。いま振り返っても、あまり合理的な説明ができません。

視覚障害者の課題も、地方都市でのIT勉強会コミュニティという課題も、積極的に選んでいるのではなく、なぜかそういう現場に「出くわしてしまう」のです。それが幸運なのか悪運なのか、その時点ではわかりません。

誤りを恐れない

やり直せるなら、という条件付きではありますが。

先ほどの1999年の話で、結局いちばん長く付き合うことになったのが、視覚障害者のパソコン利用でした。

私はもともと「タイピング」という行為が好きで、文字入力でもキーボードショートカットを多用します。キーボードの押し間違いは多いのでいわゆる「バックスペース」としていつも Ctrl+H を使います。誤入力をすぐに削除できることは、正確に入力できることと同じくらい大事だと思っていました。

ショートカットキーを覚えて活用することが、画面を見ないでコンピューターを使う手段の一つだと気づいたときには、自分事であったと同時に「誰にとっても確実で効率的に使える」ということに意義を感じました。ユーザー名を入力して Tab キーを押したらパスワード入力に移動しないと気持ち悪い、いまでもそう感じ続けています。

タイピングの代わりに声で入力する音声認識も、テキストを声にする音声合成も、いまでは広く使われています。しかし私が大学教員になったころ、周囲の研究者からは「音声認識や音声合成は何に使うのか」という声をよく聞きました。スクリーンリーダーと出会った私は、とりわけ音声合成には、すでに切実で具体的な使い道があるではないか、と思いました。

いまと比べれば、当時の音声認識や音声合成はずっと発展途上でした。スクリーンリーダーは当時すでに「不完全でも技術を使いこなす」という開発者とユーザーの工夫の上に成立していました。おかしいなと思ったら、戻って、その文字だけ別の方法で読み直して確認する、そういう使い方が実用性と信頼性を担保しています。

「やり直せるなら誤りを恐れない」というアプローチに私が魅力を感じたのかもしれません。タイピングの正確さよりもバックスペースを押すことの素早さに通じる考え方です。当時のもう一つのテーマ「バージョン管理システム」は、実は別の話ではなく「安全に作業を取り消し、以前の状態に戻せる手段」への私のこだわりだったようです。

CVS が Subversion になり Git の時代になり、私はバージョン管理システムを「ただ使うだけ」の人になりました。

スクリーンリーダーからは逃げるタイミングを失って、現在に至ります。

自分の会社の仕事として私が使う時間の大半は、推定ユーザー数が数百人という無料のソフトウェアの細々とした保守とリリースです。

NVDA日本語版が20年続いたのは、完璧なものを完成させたからではありません。問題が見つかれば直し、うまくいかなければ戻し、また次のバージョンを出す。その繰り返しです。

その繰り返しの中で人と出会い、あるときは教え、あるときは教えられてきました。

不具合の報告をいただくと「すぐに直せるのは安定版ではなくベータ版です。ベータ版でご確認ください」とお願いすることがあります。そのたびに、もっと多くの人がリリース前の検証に参加してくれたら、と内心では期待しています。

振り返れば、タイピングで間違えた文字をすぐ消すことから、あまり遠くないことを今もやっているのかもしれません。

最先端を競わない

エンジニアとして認知されて次のチャンスをつかむには技術ブログを書かなくてはいけない、みたいに言われがちですが、私は積極的にはそういうことをしていません。1990年代後半以来、私にとってWebでの情報発信は「書いたことを自分が忘れてしまっても検索すれば見つけられるメモ」のままです。SNSも同じような感覚です。

1999年のエピソードの少し前に話を戻すと、私は「バージョン管理システムCVS」の勉強をして、日常的に使い、周囲の人に広めてみたくなってWebページをつくり、私のページを読んだ人にすすめられてメーリングリストを運営していました。出版社から執筆のお話をいただいたときには、深いところまで1人で書くのは難しいですとお話をしたら、共著で話を進めていただけました。

しかし、私の仕事は滞り、関係者にご迷惑をかけることになりました。執筆はなんとか終わらせることができましたが、書店に並んだときには次の世代のツール (Subversion)への移行が進み始めていました。

この経験と、同時に私が経験してきたアカデミックの世界を合わせて振り返ると、技術や研究の世界で、その分野の第一人者として認知されるには、ある時期、継続的に最先端を走る必要があります。

これを(私は「弱虫ペダル」の知識でしか語れないのですが)自転車ロードレースに例えてみます。先頭を走る人は、自分で風を受けながら走らなければなりません。エンジニアなら、新しい技術をつくる人、仕様を決める人、まだ十分な解説もない段階から試行錯誤して、その成果を最初に発表する人たちです。

その後ろには「集団」と呼ばれる大きな塊があります。集団の中にいれば、前を走る人から学び、周囲のペースを見ながら進めます。誰もがずっと先頭で風を受け続ける必要はありません。

私はエンジニアとして、「ときどき集団に入る」くらいがちょうどいいと思っています。

CVSについては、本を書くところまで行ったので、一時期かなり前を走っていたように見えるかもしれません。しかし、私はCVSそのものの実装に深入りしたかったわけではありません。自分で使って便利だったから、周囲にも広めたかったのです。その後、Subversion、Gitと道具は変わりました。私はそれぞれを必要に応じて使ってきましたが、その最先端を追うことはしませんでした。いまでは、バージョン管理で何をしてほしいかを概念のレベルでAIに指示するだけです。Gitが最後のバージョン管理システムだとも思っていません。

スクリーンリーダーについては、最先端の技術を追いかけることもあります。しかし、視覚障害者の生活の中心がパソコンからスマホに移っていく中で、ユーザーを増やすことや、ビジネスとして成功することを目標にはしていません。いま私が考えているのは「あきらめずに続けられる基盤を整える」ことです。

「生成AI」については、いまのところ「集団」から振り落とされない程度には追いかけています。ただ、自分はもう、1人で仕事をしていても孤独ではありません。私は指示役、AIたちが実行役。そんな分担を強く意識しています。

先頭に出ることそのものを避けているわけではありません。面白いことがあれば前のほうまで行くこともあります。しかし、そこに居続けることを目標にはしません。必要なときに集団に入り、前を走る人から学び、自分がやるべきことがあれば少し前に出る。それくらいが私にはちょうどいいのです。

頑固にならない

長くエンジニアをやっていると、知っていることが増えます。それ以上に怖いのは「知っているつもりのこと」が増えることです。昔は正しかった知識が古くなっているかもしれないし、うまくいった経験をいつの間にか「こうするべきだ」という正解にしているかもしれません。

20年以上前の話をここまでたくさん書いておいて「頑固にならない」というのも変な話ですが、昔の経験を大切にすることと、昔うまくいった方法を現在の正解にすることは別だと思っています。

だから「頑固にならないように気をつける」だけでは足りません。自分が頑固になっていることには、自分ではなかなか気づけないからです。私には、頑固を予防する仕組みが必要です。

大学教員をしていたころ、その役割を果たしてくれたのは学生だったと思います。教える側だからといって、学生より何でも知っているわけではありません。学生は、自分なら選ばない道具を使い、自分ならしない質問をします。「なぜそうするんですか」と聞かれて、自分がいつの間にか当たり前だと思っていたことに気づくこともあります。

大学を離れたいま、私には学生がいません。その代わり、自分の勉強会を持ち、初心者を歓迎することを大切にしています。初心者を歓迎するのは、その人のためだけではありません。長くやっている自分のためでもあります。経験者だけなら同じ前提で話が速く進みます。しかし、その前提そのものが古くなっていても気づきにくい。初心者の質問は、ときどきその前提を壊してくれます。

自分自身が学ぶ側に戻ることも頑固予防になります。大学教員を辞めても、放送大学を使えばまた大学生になれます。資格試験を受ければ、自分なら選ばなかった範囲まで、他人が決めた基準で勉強することになります。資格を増やすことだけが目的ではありません。

最近は、知らないことだけではなく、知っているつもりのこともAIで調べ直します。自分が覚えたころから状況が変わっていたり、例外を忘れていたり、そもそも昔から理解を間違えていたりするかもしれません。AIの答えをそのまま信じるのではなく、「これは知っているから調べなくていい」と思わないためにも使っています。

頑固にならないように心がけるだけでは、たぶん私は頑固になります。人と会い、自分も学ぶ側に戻り、知っていることまで調べ直す。自分の「知っているつもり」を、ときどき壊す環境をつくっておくことが、私なりの頑固予防です。

自分を曲げない

「頑固にならない」と書いた直後に「自分を曲げない」というのも矛盾しているようですが、私の中では少し違います。前者は知識や技術の話で、こちらは居場所の話です。

自分が間違っているなら考えを変えればいい。でも、自分を変え続けなければ居られない場所に、無理をして居続ける必要はないと思っています。

数年前、ある NPO の理事を辞めました。代表者の個人的な問題意識から始まった小さな活動を、偶然の出会いをきっかけに、黎明期から見守っていました。会合ではいつも参加者に美味しいお菓子が配られました。そんな代表者の心配りは今でも印象に残っています。しかし、厳しい現実の中で生き残りを模索した結果、外部の大きな組織が関わるようになり、運営の主導権が少しずつ移っていった。私にはそんなふうに見えました。

私の誤解や思い込みだったかもしれません。だとしても、私にとって「違和感」は去る決断をするには十分な理由でした。我慢して続ける必要はないし、辞めることに合理的な理由すら必要ない。説明して納得してもらえない場合であっても、その場所を去ることを失敗だと思っていません。

後悔したり悩んだりするより、そういう判断をした自分に深く興味を持つほうが、ずっと面白い。なぜ自分はそこで違和感を覚えたのか。何を守ろうとしたのか。

自分の居場所に執着して他の人に迷惑をかけるのは、別の話です。自分が変われば済むなら変わる。変われないことなら無理に曲げない。その場所に居続けることが難しいなら、去る。それは、お互いのためかもしれません。

立場が変わると、コミュニティや小さな組織のリーダーが、組織をある方向に変えていきたい。そして参加者にも変化を求めたい。そんなときにどうすればいいのか。いままでどんな失敗をしてきただろうか。反省することも多々あります。

予定を埋めない

2026年、あえて私は受託の仕事を減らしました。経営者としては不安です。紹介いただいた案件をお断りして、代わりにGPU を買いました。

空いた時間ができると、普通はそこに次の仕事を入れたくなります。私もそう考えないわけではありません。でも、いまはその空白をすぐに埋めないことにしています。買ったGPUで生成AIを動かし、新しい道具を試しています。つくりたいものや売りたいものを考えてはいますが、売れるかどうかはわかりません。

何ができるかわからないまま DOS/V パソコンを自作し、Mac でインターネットとマルチメディアをいろいろ体験した1990年代を思い出します。当時、何の役に立つのか、どう仕事になるのかよくわからないことに時間を使っている人がたくさんいました。しかし私には、それが「自分を表現する」手段でもあるように見えました。

2026年の生成AIにも、私は似た空気を感じています。AIに何をさせ、何をつくり、何を世に出すかというところには、否応なく自分が出ます。

私はこれまで、テーマを選んできたというより、何かに出くわして手を出してきました。そういう私には、次に出くわしたときのための余白が必要です。

次に何に出会うかはわかりません。それが幸運なのか悪運なのかも、出会った時点ではわかりません。

だからいま、予定表を仕事だけで埋めない。何かに出会ってしまったとき、少し手を出せるくらいには暇でいたいと思っています。

それでも、続いている

ここまで書いてきたことは、おすすめの方法ではありません。おすすめの方法を知っているつもりで、素通りしていた。そんな私のいちばん近くにいる人は、不思議に私を否定することなく、もっといいことが、これからあると信じています。キャリアを計画的に積み上げてきた実感がないまま、それでも何かを続けている人は、私だけではないと思います。目の前に出くわしたものと付き合っていたら20年経っていた、という続き方もあります。そういう話として読んでいただければ幸いです。

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