「もっと成果を出さなきゃ」「スキルを増やさなきゃ」。そんな焦りに押され、やることを積み重ねていないでしょうか?けれど、本当に働き方を変えるのは“足し算”ではなく、“引き算”かもしれません。この企画では、エンジニアたちがあえてやめたことと、その後に訪れた変化をたどります。ムダをそぎ落とした先に残る、本当に大切な仕事や自分らしい働き方とは。誰かの“やらない選択”が、あなたの次の一歩を軽くし、前向きに進むヒントになりますように。
中道 一志 (@ici_mici)と申します。株式会社ヌーラボでプロジェクトやチームのマネジメントをしているソフトウェアエンジニアです。島根県と山口県の境目、人口約4万人の島根県益田市に移住して4年が経ちました。近くの海でイルカの群れを見たり、庭のスイカを野獣に食い荒らされたり (ばあちゃん=義祖母が言うにはヌートリアの仕業)と、いわゆる田舎暮らしをしながら日本中そして世界中のメンバーとBacklogをはじめとしたヌーラボのサービスを開発しています。

約4年前、移住を目前にして、私たちはどこに住んでいても活躍できるというテーマで、Findy Engineer Labに記事を寄稿しました。
その中で当時の心境を吐露しています。
仕事を変えて、住み慣れた場所を離れる。この選択が正しいのか、今はまだ分かりません。未知の場所に馴染めなかったり、やっぱり皆で顔を合わせて仕事がしたいと後悔したりするかもしれません。
当時よちよち歩きだった子どもたちも5歳になり、また私を取り巻く環境も大きく変化しました。この記事では同じように子育てに追われるエンジニアに向けて、私がやらないと決めていることをお伝えします。
私のこれまで
冒頭では田舎の暮らしがさぞ素敵なもののように書きましたが、実際には楽しいことだけに溢れたものではありません。そして4年前に危惧した通り、未知の場所に馴染めなかったり、エンジニアの友人がいない孤独にずいぶんと苛まれたのも事実です。
少しだけ私のこれまでについてお話しします。
私は長年広島のIT企業で受託開発をしてきました。趣味でITコミュニティの運営や登壇、またブログを書いたりとエンジニアとの交流や情報発信を大切にしてきました。
2021年に双子の男の子が生まれると生活は一変しました。育児に追われ、休日はもちろんのこと、コミュニティに関わったりゆっくり本を読む時間なんてなくなりました。
私は夫婦ふたりで双子を育てる負担に、また自分の時間を全て子どもに捧げる生活に、耐えられませんでした。この生活を変えるべく、フルリモートで働けるヌーラボに転職し妻の実家に移り住みました。現在は義祖母、義両親、そして私たち夫婦と子どもたちの7人がひとつの家で暮らしています。サザエさん一家よりも1世代多い、4世代での生活です。
移住の理由は田舎暮らしへの憧れではなく、義両親の力を借りるためでした。当時の私に選択肢はありませんでした。
やらないこと① 嫌だなぁをそのままにしておくこと
私は我慢が苦手です。我慢は美徳という言葉がありますが、どんなに小さくても嫌だなぁと感じることをそのままにしておけない性分です。
“やらないこと”リストについて考えた時、真っ先に思い浮かんだのはこれでした。前回公開されたmicchieさんの記事でも「限界まで我慢すること」が“やらないこと”として挙げられていますが、私は少しの我慢もしたくはないのです。
古代ギリシャの哲学者エピクテトスはこんなことを言っています。
われわれの力の及ぶものは、最も善いように処理しなければならないが、力の及ばないものは自然のままに扱うようにしなければならないということだ。
エピクテトス『人生談義』(國方 栄二訳、岩波文庫)より
仕事でも生活の中でも「嫌だなぁ」が発生した場合、まず自身の力の及ぶものかを考えます。心構えや気の持ちようの話ではありません。どうすればその事象を回避できるのか?仕組みや前提は変えられるのか?制約事項は何か?を考え、自身の力で変えられるものと変えられないものを整理します。そして自身の力でどうにかできるものはどんどん変えていきます。
移住や転職についても同様です。私の場合、たまたま妻の実家が温かく受け入れてくれた、非常に恵まれた環境があったので、そこに甘えている部分は大いにあるでしょう。しかし、そうでなくとも何かしら環境を変えようと尽力していたはずです。恥ずかしながら我慢ができない人間なので。
他に例を挙げると、この数年は体を鍛えることに注力しています。底なしの体力を持つ5歳男児を寝かしつけた後、疲れ果てて何もできないことが嫌で仕方がなかったので、自身の体力を底上げして夜に趣味の時間をつくれるようにしました。このことはnoteにも書いているのでよかったら読んでください。
よき父親像からはかけ離れているかもしれないし、この記事を読んで顔をしかめる人もいるかもしれませんが、できるだけ自分の楽しみを手放さずに家族の時間も大切にする方法を模索した結果、今の暮らしに落ち着いています。
もちろん変えられないものはたくさんあります。例えば他人や周囲の環境など。むしろ変えられないものの方が多いはずです。ですが、なんか嫌だなぁとか自分が我慢すればいいのかなと思った際には、まず自分の力で今よりよくできる要素について考え、試すことにしています。
やらないこと② ないものを嘆くこと、卑下すること
さて、生活も仕事も変わりました。義実家の支援もあります。
じゃあ以前のようにコミュニティに参加したり登壇したり、ブログを書いて情報発信したりできるようになったかというと、全然そんなことはありませんでした。
この、エンジニアたちの“やらないこと”リストの連載の中でも子育て中の方の記事があるのですが、皆さんやっぱり以前のような活動はできないと書かれており。私も同様です。
もちろん皆が力を貸してくださるので育児面では大変楽になりました。精神的な負担なんかは10分の1くらいになった実感があるのですが、やはり時間はありません。この土地に住むエンジニアの友人もいません。ITコミュニティも見つかりませんでした。
移住した当初は、よくこんな妄想をしていました。島根県の片隅の街で豊かな自然に囲まれて子育てをしながら、最先端のIT技術を駆使した仕事をする。その知識を地域に還元し、コミュニティでの登壇や情報発信など外に向けて積極的に続ける。そうして“田舎暮らし地域活性化子育てエンジニア”としていろんなメディアの注目の的になる…。それは全然叶いませんでした。時間も気力も友人もなく、ほとんど何の活動もできなかったためです。そりゃ注目を集めるなんて無理な話ですよね。
また、仕事でも以前のように自身の全てを注ぎ込むということができなくなりました。
私は仕事やこのIT業界が好きで、休みなんかいらないと思っていたし、新しい知識や技術を学び続けることが習慣になっていました。エンジニアはそうあるべきだと信じていました。
気がついたらそうではない自分になっていました。
家族そろって朝ご飯を食べ、保育園へ送り出した後仕事をして、18時にはみんなで晩御飯を食べてお風呂に入って寝る日々を過ごしているうちに、自身がどんどん錆びついていくような感覚に襲われました。目に見えた成長もなく、華々しい成果もなく、ただ生活しているだけの日々を悪いことをしているかのように感じていました。
そんな日々を嘆いても結局何も変わることなくただ時間が流れて、そのうちにこれってどうしようもない変えられないものだなと考えるようになりました。
ないものはないし、変えられないものは変えられない。それを嘆いてもどうにもなりません。ただ、諦めることはいつでもできます。その前に一度だけ、それが本当に自分の力の及ばないものなのかを考えます。どうしても今ないものが欲しいのであれば嘆いている場合ではありません。行動を起こす必要があります。
そして、どうやっても手が届かないとわかったなら、今手の中にあるものを見つめましょう。きっと他のものが入り込む余地がないほどの何かを、すでに持っているのではないでしょうか。
私の場合、以前ほどの頻度で対外的に情報発信をすることはやめました。また、新しい技術についてがむしゃらに追うことはやめました。できなくなったと言った方が正しいですね。その代わりに、海で泳いだり虫を捕まえたり釣りをしたり、この街の豊かな自然を積極的に楽しむようになりました。
仕事においてもそうです。20代の頃のように、どんな仕事どんな領域でもできるようになりたい、できるようにならなければならないとは考えていません。そりゃあ私より一回りも若い方々が驚くべき速度で成長して、プログラミングでは到底敵わないと実感した時には、嫉妬もするし落ち込むこともありました。立ち直るまでに少し時間はかかりましたが、現在はプロジェクトやチームのマネジメント、私が価値を発揮でき、また組織から求められる役割に注力しています。
ないものを受け入れること。できない自分を認めることはとても怖いです。
人生にはきっと様々なことが起きて、理想像からはどうしても離れてしまう瞬間があると思います。しかし、どうしても変えられないものは存在していて、それはただ受け入れるしかないと考えています。
ないものばかりに目を向けていると自信や誇りが欠落していきます。「今あるものに目を向けよう」と言われても、人間なので、どうしても「自分には何もない」なんて思うこともあるでしょう。そのような状況になった時に私は決めていることがあります。それは決して自分を卑下しないことです。
物事が思うようにできない時、また自分に価値がないように感じる時、卑屈になる気持ちもわかります。でも、皆多様な背景を持って生活していて自分の思うように生きている人なんて、きっといないんじゃないでしょうか。 どうか、自分を卑下することはしないでほしいです。少なくとも私は自分を卑下しません。それはエンジニアとして生きていく以上、持てる力を発揮して新たな価値を生み出すことが喜びであり、生きる意味のひとつだと私は考えているからです。足りない自分を受け入れて、それでもやっていくしかないのです。
ではなぜ一生懸命子育てをして日々を送っているだけなのに、卑屈な気持ちを抱えなければならないのか、そのことについて次に書きます。
やらないこと③ 他人からどう見られるかを気にすること
私の苦しみの正体は他人からどう見られるか、そこを重要視していたからだと今ならわかります。SNSを開けば、家庭の都合で参加することが叶わなかったカンファレンスで登壇する友人の姿や、同年代の知人が取締役に就任しそれに集まる大量のおめでとうの声が否応なしに飛び込んできます。片や自分は日々の生活に追われている。できればもう誰もこれ以上活躍しないでくれ、私が登壇できないカンファレンスは開催しないでくれ、なんて思ったりもしました。
私は皆から忘れられたり、あいつ最近たいしたことないねって思われるのが怖かったのです。
移住して最初の1年ほどは依頼があったら全て受け、積極的に県外の勉強会で登壇をしていました。
しかし1〜2歳児ってすぐ体調を崩すんですよね。ある時40分枠の登壇を2つ抱えていたのですが、登壇の準備をしたいのに子どもが熱を出してしまいました。休日でさえ自分の時間をつくることが全くできずピリピリしていたのだと思います。妻に「登壇が近づくと怖い」と言われました。はっとしました。忘れられるのが怖いという理由で家族に嫌な思いをさせて、何の意味があるんだろうと考えるようになりました。自分のこうあるべきは、家族よりも重要なのかを考え直すようになりました。
哲学者ショーペンハウアーは『幸福について』(鈴木 芳子訳、光文社古典新訳文庫)の中で人間の根本規定について書いています。
- その人は何者であるか
- その人は何を持っているか
- その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか
その中でも、その人は何者であるか、つまり健康な肉体やその人が世界をどう捉えるかが幸福に直結しており、それ以外はさほど重要ではないと述べています。
私は3つ目の、幸福には繋がらない、その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるかを躍起になって追い求めていました。
確かに誰かに認められたり褒められたりすると、瞬間的には満ち足りたような勝ったような気持ちになります。でもそれは長続きしません。そのことに気がつくまでにずいぶんと長い時間がかかりました。
私の焦りや劣等感も結局のところ、自身をよく見せたい、がんばりを認められたいという気持ちの表れだったように思います。もちろん今でも嫉妬や劣等感にかられる瞬間は度々訪れます。しかし、その気持ちの源を自覚してからは、以前のように苦しむことが減りました。
最近、小さなプログラミング教室で小学生を相手にプログラミングを教えています。彼ら彼女らにとっては私はただの怪しいおじさんであり褒めてくれたりはしないのですが、子どもたちが何かをできるようになったり、私の助言によって驚き、笑い、喜ぶ姿を見るのはとても幸せな気持ちになります。
こんな小さなことで、ないものだらけの自分にもできることがあるんだなって思えてきます。この記事が胸に刺さった人、今まさに焦りや劣等感を抱いている人は、身近な誰かをちょっとだけ助けてみるのはいかがでしょうか。些細な事でも誰かの役に立った、その実感がきっと幸せな気持ちを持ってきてくれるはずです。
大切なもの以外手放してもいい
私のやらないことを3つ挙げました。
これらを通して私が学んだのは、本当に大切なもの以外は手放しても大丈夫だということです。都市での暮らしも、これまでの生き方も、他者からの賞賛も、私にとって本当に大切なものではなかったようです。そして、共通しているのは手放してからその意味に気づけたということです。失うことをあれほど嫌がっていたのに、皮肉なものです。
大変な状況の最中において、心構えや気の持ちようだけで、乗り越えるのは心身ともに大きな負担がかかります。自身の力で変えられるものと変えられないものを見極めること。ないものを嘆くのではなく、卑下するでもなく、大切なものを守ってほしいです。
そういえば、どうしてもないことが受け入れられなかったことがありました。それはエンジニアの友人がこの街にいないことです。これだけは寂しくて耐えられなかったので、Iwami Tech CommonsというITコミュニティをつくって、地元のエンジニアを集めて楽しくやっています。回を重ねるにつれて参加者も増え、他県から足を運んでくれる人も現れるようになりました。
双子の子どもたちも成長していくらか生活に余裕が出てきたので、最近はちょくちょく県外のコミュニティで登壇をするようにもなってきました。
ふとした時に、小さかった頃の子どもたちにもう一度会いたいと思うことがあります。這いずり回ることしかできないし、すぐに泣いてばかりで、移住を決断するほど大変だったはずなんですがね。そう思えるくらいには時間が経ちました。
4年前の記事を読み返してみると、最後にこんなことを書いていました。
私が伝えたいことは、ソフトウェアエンジニアは技術を磨き、外の世界に発信することで、どこに住もうが、何の仕事をしていようが、自由になれるということです。人生にとって大切なものを選択できる力を得るということです。
この考えは今も変わりません。大切なものを守るためには技術者としての力は絶対に必要だと考えています。そのうえで、今の私が一言だけ付け加えるとしたら、どうにもならない時もある、ということです。びっくりするほど思ったようにいかないことだらけです。
時間とともに目まぐるしくいろんなことが変わっていきます。
今、私と同じように子どもを育てながら働いている方々は、きっと似たような葛藤を抱えているはずです。極めて私的な体験や考えを書かせていただいたのですが、どなたかの役に立てばとても嬉しく思います。


