IT業界では長年、「プログラマ35歳定年説」がささやかれてきました。管理職への移行や、最新技術のキャッチアップの難しさなどを理由に、年齢とともにコードを書くことから離れる方は少なくありません。
しかし、日本におけるPostgreSQL普及の第一人者であり、コミッターでもある石井 達夫さんのキャリアは、その常識とは一線を画しています。SRA OSS, Inc. 日本支社の取締役支社長という経営の重責を担いつつも、プログラマとしての活動を継続してきました。同職を退任し、70歳を超えた現在もなお、OSSへのコントリビューションを続けています。
組織を率いる立場でありながら、石井さんが「コードに触れること」にこだわり続けた理由は何だったのでしょうか。そして、生涯現役のプログラマとして活動する意義とは。
経営の舵取りを誤らないために。コードレベルで技術トレンドを把握し続けた
――石井さんは長きにわたり、SRA OSS, Inc. 日本支社の取締役支社長を務めてこられました。経営やマネジメントの重責を担いながら、コードを書き続けるのは並大抵のことではないと思います。どれほど忙しくても、両立を大事にされてきた理由を教えてください。
私自身としては、それほど肩肘を張って「両立させよう」と意識してきたわけではありません。ごく自然な流れのなかで続けてきたというのが本音です。ただ、強いて理由を挙げるとすれば、SRA OSS, Inc.の日本支社が立ち上がった当時の状況が背景にあります。
今でこそ広く知られているPostgreSQLですが、当時は日本での知名度が非常に低く、ユーザー数もごくわずかでした。ビジネスとして成立させるには、あまりにも市場規模が小さすぎたのです。そのような状況下で、生き残るために何が必要か、徹底的に考えました。
私たちが取るべき道は、PostgreSQLを使ったユーザー市場そのものを広げること、オープンソースにとって生命線であるコミュニティを育てること、そしてPostgreSQL自体の技術的な進化を支えることでした。この3つを同時に、かつ迅速に進めていくしかないと考えました。
小さな会社ですから、豊富な資金力に頼るような施策は打てません。私たちが勝負できるのは、誰よりも早く正確にPostgreSQLを中心とした技術トレンドやコミュニティの状況を把握し、素早く決断することでした。だからこそ、「自分自身がコードレベルで技術を理解している」ことは、経営判断を下すうえでの強みであり、必須条件でもあったのです。
――コードを読み書きする習慣そのものが、経営判断やマネジメントにおいて、具体的にプラスに働いたと感じるエピソードはありますか?
間接的なメリットとしては、先ほどお話しした「技術トレンドの迅速な把握」が挙げられますが、より直接的に会社の命運を分けたエピソードがあります。SRA OSSが設立される少し前、私たちが「PowerGres(パワーグレス)」という自社製品を立ち上げようとしていた時のことです。
私はそのプロジェクトの技術責任者を務めていたのですが、当時のPostgreSQLには「Windows上で動作しない」という課題がありました。日本市場、とりわけ法人で普及させるには、Windows対応が不可欠です。そこで私たちは、PostgreSQLをWindowsで動かすための改善作業に乗り出しました。
しかし、いざ始めてみると、修正すべき箇所が山のように出てきました。開発は難航し、予定していたスケジュールを過ぎても一向に完成のめどが立ちません。当然、上層部から「あと何カ月あれば本当に完成するのか」「このまま開発を続けるのか、それとも諦めて撤退するのか」という厳しい決断を迫られました。
非常に重いプレッシャーのなか、数日ほど考え抜きました。客観的なデータや緻密な計画書があったわけではありません。ですが、最終的に私が下した決断は「なんとかなる。このまま続けさせてくれ」というものでした。
これは今振り返っても、冷や汗が出るような決断です。しかし、日々コードに向き合っていたからこそ、エンジニアとしての直感で「この壁を越えれば、必ずプロダクトを完成させられる」という確信がどこかにありました。結果として、私たちは移植に成功し、製品を世に送り出すことができました。
この「PowerGres」は、その後SRA OSSが誕生してからも、会社を支える重要なビジネスの柱へと成長したのです。コードレベルの肌感覚を持っていたからこそ、あの土壇場で正しい判断を下すことができたのだと思っています。

たとえコードを書けない状況であっても。現場のエンジニアと対話し、学び続けよう
――経営やマネジメントの立場にあり「技術の肌感覚がなくなってきている」と悩む方は多いです。そうした方々に向けて、石井さんから何かアドバイスはありますか?
難しい問いですね。みなさんが置かれている状況は千差万別ですから。私の場合は、経営と開発を両立できる非常に恵まれた環境にありました。ですが実際には、両立が難しい環境にいる方のほうが多いのではないでしょうか。
そうした方々におすすめしたいのは、製造業でよく言われる「すべては現場から生まれる」という思想に立ち返り、実際に足を運んでみることです。ソフトウェア開発における「現場に足を運ぶ」とは、最前線にいるエンジニアたちと直接話をすることです。彼らが今、どのような技術に興味を持ち、何をやりたがっているのか。逆に、どのような課題に直面し、どんな危機感を抱いているのか。それをじっくりと聞いてみてください。
その対話のなかで、もし彼らが使っている専門用語や技術的な文脈が理解できなければ、その領域を勉強してみればよいのです。わからないことに直面するたびに調べ、学び、また現場と対話する。この地道なサイクルを繰り返していくことで、現場との距離感も、技術的なキャッチアップのギャップも、おのずと縮まっていくのではないかと思います。
――「現場とのやり取り」という観点で、もう一歩踏み込んでお聞きします。開発現場から「技術的負債を解消したい」などの要望が上がってきたものの、経営判断として、どうしても時間や資金を投資できないという状況は起こり得ます。現場の要望と経営的な判断の板挟みになった時、マネージャーや経営者はどう振る舞うべきでしょうか?
実を言うと、そうした衝突が起きた時、その場で現場のメンバー全員に100%納得してもらうのは、ほぼ不可能です。かつて私も現場のエンジニアだった頃、自分が「絶対にやるべきだ」と信じて提案したプロジェクトを、経営上の理由から上層部に止められた経験があります。当時は当然、不満や悔しさがありました。
しかし、自分が経営を担うようになり、何年も経って振り返ってみると、「今の自分が同じ立場でも、やはりあの時と同じ判断をしただろうな」と、当時の上層部の判断を深く理解できるケースが多々あったのです。
現場から不満を持たれることは、ある程度仕方がありません。ただ、そこで最もやってはいけないのは、不都合な真実を隠したり、事実をねじ曲げて説明したりすることです。無理だとわかっているのに、期待を持たせるような曖昧な態度をとったり、あげくの果てにプロジェクトが頓挫した責任を社員に押し付けたりするようなやり方は、信頼関係を壊します。
なぜそれを実行できないのか。その理由を、ごまかさずに正直に伝えること。その瞬間は反発されるかもしれませんが、誠実に向き合っていれば、何年か経って彼らがマネジメントの視点を持った時に、きっと理解してくれるはずです。
――経営において、自分の信念を貫くケースだけではなく、時には現場の意見を踏まえて方針を変えることもありましたか?
もちろんです。自分の考えていた方向性と、社内のエンジニアやマネージャーが主張する方向性が違っている時、客観的に見ると彼らの言っていることのほうが正しい、というケースは山ほどありました。
そうした周囲の言葉から、私自身が経営者として多くの気づきや学びを得られたことは、本当にありがたいことだったと感じています。リーダーとして自分の信念や判断軸を持つことは不可欠ですが、同時に「他者の意見を真摯に聞き入れる柔軟さ」は常に持っていなければなりません。
現状維持からは何も生まれない。苦境を乗り越える「諦めない心」
――長いキャリアのなかで、プログラミングへのモチベーションが下がってしまった時期はありましたか。もしあれば、それをどう乗り越えたのでしょうか?
特に強く印象に残っているのは、私が開発を主導しているPgpool-IIで、大規模な改良を進めていた時期のことです。
開発の過程で、どうしてもコードの品質が安定しない期間が続いてしまいました。そんな時、海外のユーザーから「バグだらけのソフトウェアだ」という厳しいコメントが寄せられたのです。普段はそこまで気にしない性分ですが、この時ばかりはさすがにこたえ、深く落ち込みました。
当時の私には、2つの選択肢がありました。1つは、これまで進めてきた大規模な改良を捨て去り、安全な旧バージョンに巻き戻すこと。もう1つは、批判を受け止めながらもこのまま突き進み、改良を完成させて安定させることです。結果として、私は後者を選びました。

――安定版に戻すほうがリスクは低いようにも思えます。あえて困難な「完成させる」道を選んだのは、なぜでしょうか?
何もせずに諦めて巻き戻せば、確かに現状維持はできますが、そこからは何も生まれません。技術的な進歩を諦めることは、エンジニアとしての生命線を自ら断つようなものです。リスクを背負ってでも、ここは勝負をかける必要があると考えました。
どれほどの期間をかけてバグを潰し続けたのか、今では正確に覚えていません。ただ、苦しい時期に「明けない夜はない」という言葉を何度も心のなかで唱え、「とにかく諦めないこと」だけを考えて必死に手を動かし続けました。その結果、なんとか安定した形で完成させることができました。あの苦難を乗り越えた経験は、今でも大きな糧になっています。
OSSの開発は「人類共有の財産」を創り出していくプロセス
――そうした活動を経て、石井さんは70歳を超えてもなお現役のプログラマでいらっしゃいます。コードを書き続けるために、意識的に行っている健康管理や、日々のルーティンはありますか?
長く現役であり続けるためには、大前提として体が健康でなければなりません。私もそれなりの年齢になりましたので、食生活や体調管理には日頃から気を配っています。
ごく個人的な習慣ですが、特に朝食を大事にしていて、毎朝ほぼ同じメニューを食べています。豆乳ヨーグルトに有機栽培のバナナ、新鮮なサラダとパン、そしてブラックコーヒー。これが私の定番です。お酒とタバコはやりません。お酒はもともと体質的に強くないこともあって、自宅での晩酌はしませんし、タバコも若い頃にやめました。
運動の面では、適度な散歩を心がけています。幸い、今は自然豊かな環境に住んでいますので、畑の真ん中のあぜ道などをのんびり歩くのが日課です。また、現在は時間に余裕ができましたので、十分な睡眠時間を確保することを何よりも大切にしています。こうした習慣の積み重ねが、毎日健やかにコードに向き合うためのベースになっています。
――石井さんにとって、プログラミングという行為の楽しさや、そこに取り組む本質的な意義は何にあるとお考えでしょうか?
一言で言えば、それは「ものづくりの楽しさ」に帰着すると思います。自分自身の頭で考えたアイデアを形にし、新しいものを生み出すという行為は、人間の好奇心や達成感を本質的に満たしてくれます。大げさに聞こえるかもしれませんが、プログラミングは私にとって、人生における「必然的な営み」のようなものだと感じています。
さらに、OSSの開発には、また格別の楽しさがあります。OSSはソースコードの公開が前提ですから、自分がつくったものに対して、世界中からダイレクトにフィードバックが返ってきます。同じ問題意識を持ち、似たようなものをつくろうとしている世界中の開発者たちと対話し、共感し合えることそのものが、計り知れない魅力です。
また、少し大きな視点で語るなら、OSSの開発は「人類共有の財産」を創り出していくプロセスでもあると考えています。これは、かつての「フリーソフトウェア運動」の時代に先人たちが提唱した思想の受け売りですが、今でも非常に本質的な真理だと思っています。
数学の公式や物理の法則を発見した人が、それを自分の利益のためだけに独占することはありませんよね。ソフトウェアもそれと同じで、自分がつくったものが誰かの役に立ち、また誰かがつくったものが次の自分の開発の土台になる。この豊かな循環のなかで、歴史に残るものづくりに関われる。これこそが、OSSに情熱を注ぎ続ける意義ではないでしょうか。
学者や芸術家と同じように、生涯プログラマを続ける。自分の情熱を信じた先に道は拓ける
――数あるOSSプロジェクトのなかでも、石井さんが長年関わってこられたPostgreSQLのソフトウェアやコミュニティとしての魅力は、どこにあるのでしょうか?
よく言われるのは、PostgreSQLは「成熟した大人のコミュニティ」だということです。扱うプロダクトがデータベースという伝統的で堅牢な仕組みであるためか、関わるエンジニアたちも技術的な知見が深く、紳士的で、かつ経験豊富なベテランが多い。抜きん出て優れた方々が集う場所なので、参加しているだけで学びの機会にあふれています。
そして何より素晴らしいのは、このコミュニティがPostgreSQLというソフトウェアとともに、30年以上にわたって継続的に成長し続けているという事実です。OSSプロジェクトは、途中で勢いが衰えてしまうことも珍しくありませんから。
これほど長期にわたり維持されているコミュニティの歴史のなかに、私自身のエンジニア人生を重ね合わせることができたのは、幸運なことでした。組織に漂う温かさも特徴的です。初心者が初歩的な質問を投げかけても、誰かが優しく教えてくれる雰囲気があり、決してばかにされるようなことはありません。

――そのコミュニティに長く身を置いたことは、石井さんご自身の価値観にどのような影響を与えましたか?
「オープンソースとは何か」「そのコミュニティはどうあるべきか」という、本質的なあり方を最良のモデルから学ばせてもらいました。私自身、日本における最初期のコミュニティである「日本PostgreSQLユーザ会」の立ち上げに関わりましたが、その運営において「本家のコミュニティであれば、どう考えるだろうか」という視点は常に意識していました。
――最後に、石井さんと同じように「生涯コードを書き続けたい」と願うエンジニアに向けて、背中を押すようなメッセージをお願いします。
世の中を見渡せば、生涯にわたって研究室で論文を書き続ける高名な学者や、作品をつくり続ける芸術家がたくさんいらっしゃいます。ものづくりの先人として、手本となる彼らのような素晴らしい生き方があるのですから、現代において「生涯にわたりコードを書き続ける」という生き方だって、十分に可能であるはずです。
自分が「これをやり続けたい」と信じる情熱を大切にし、目の前のコードに向き合い、励んでいくこと。その意思を強く持っていれば、道は必ず目の前に開けるはずです。
取材・執筆:中薗 昴
撮影:本多 香

