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【Findy エグゼクティブエージェントが聞く】30年以上第一線を走り続けるエンジニアが独立を選んだ理由

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Findy エグゼクティブエージェントが聞く——CTO・VPoEなど開発組織のトップ層のキャリア支援を行う同社エグゼクティブエージェントの石川が、「次のキャリア」の決断までのプロセスを追うシリーズ。第3回は、30年以上第一線を走り続けるエンジニアが、組織を離れて独立を選ぶまでの話だ。

ドメイン駆動設計(DDD)の実践者として知られる“かとじゅん”こと加藤 潤一(@j5ik2o)。Chatwork(現kubell)でテックリードを務めたのち、IDEO PLUS合同会社を立ち上げ、独立。いまは複数企業の技術顧問を主軸に、後進エンジニアへの個人支援、講師業、そして趣味のOSS開発を並行している。

独立か、転職か。長く第一線にいたエンジニアは、何を比べ、何を決め手に独立という道を選んだのか。その意思決定の内側を、石川が聞いた。

話し手|加藤 潤一(かとう じゅんいち)

IDEO PLUS合同会社 代表(@j5ik2o

10歳で初めてプログラミングに触れる。SIとしてさまざまな現場での業務を経験した後、2011年より某D社、2013年より大手ソーシャルゲーム企業で、それぞれScalaやドメイン駆動設計を採用したシステム開発に従事。2014年7月から2024年12月まで株式会社kubell(旧Chatwork株式会社)でテックリードとして活躍し、大規模メッセージングサービスの設計と実装を主導。2025年1月から自らの会社で技術顧問や開発支援を中心に活動中。

聞き手|石川 拓(いしかわ たく)

ファインディ株式会社 エグゼクティブ領域専任エージェント

CTO・VPoEなど開発組織のトップ層のキャリア支援を専門とし、年間100名以上のハイクラス面談を担当。本シリーズのインタビュアー。

イメージが形になる。それが面白くてのめり込んだ

加藤が初めてコンピュータに触れたのは、小学4年のときだった。友達に借りたパソコンに、BASICというプログラミング言語が入っていた。雑誌「マイコンBASICマガジン」を片手に、誌面のプログラムを見よう見まねで打ち込む。三角関数も知らない年齢だったが、太陽系の軌道を画面に描くプログラムを動かすところまでこぎつけた。誌面のコードをすこしずつ書き換えては、どう動くかを確かめる。その手応えが面白くて、のめり込んだ。

小学4年から続けて、何が一番面白いのか。石川がそう尋ねると、加藤が挙げたのは、プログラミングそのものの面白さではなかった。

「自分がイメージしたことが形になって動く。それが面白い。自分が手を動かすより、指示するだけで思ったとおりに動いてくれるところが良いんですよね」

ほしいのは、手を動かすことではなくその先にある結果だ。プログラミングはそのための手段にすぎない、と加藤は考えている。

周囲からは「どうやって勉強したのか」とよく聞かれる。だが彼にとって、それは勉強ではなかった。好きで触っているうちに、自然と身についていっただけだ。

「勉強してるつもりはないんですよ。我慢して、耐え抜いて、努力して得るものみたいな感覚だとつらくなってしまいますから」

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好き、お金儲け、頼られること、得意なこと、そのどれかひとつでも夢中になれれば良い。それが加藤の持論である。彼の場合は、それが「好き」だったというわけだ。

その「好き」が仕事になると気づいたのはずっと後のことだ。工業高校の電気科を出て就職したのは、地元の大手電機メーカーの工場。製造技術や品質保証を担う部門だった。ちょうどWindows 95が登場した頃、生産管理のツールを自分で作ってみたところ、現場の業務がみるみる楽になった。本業ではないし、当時は社内にエンジニアを抱える文化もない。それでも「これは仕事になるのかもしれない」と思い始めた。

この経験を振り出しに、SES企業、自身で立ち上げた開発会社、ネットベンチャー、Java系ベンダーと、職場を渡り歩いた。途中、国産オープンソースコミュニティ「Seasar」プロジェクトで関連プロダクトのコミッターも務め、Javaの世界に深く関わるように。やがて、ソフトウェア設計を突き詰めるなかでドメイン駆動設計(DDD)に出会い、それを実践する言語としてScalaを選んだ。新しい技術を取り込みながら、自分の軸を見つけていった。

どういう動機で会社を移ってきたのか。石川がそう尋ねると、加藤は「新しいことをやりたい、というのが大きいですね」と答えた。若い頃はとくに、新規開発や未経験の領域を求めて職場を変えてきた。

若い頃は自分で選んでいましたが、やがて声をかけてもらえるようになりました

一度、転職をSNSで示唆したときには「数十社以上からオファーが来た」という。そして、たどり着いたのが、Chatwork(現kubell)だった。ここで加藤は、これまでで最も長い、約10年を過ごすことになる。

📝 石川メモ

「気づけば声がかかる人」には共通点があります。肩書きではなく「あの領域ならこの人」と、課題と名前が結びついていること。そうした人ほど、自分の考えを発信し、対面でのコミュニケーションも大切にし、相手がどんな課題を抱えているかというニーズの一次情報を自ら掴みにいっています。その積み重ねが、次の機会を呼び込むのだと面談を重ねるほど感じます。

独立か、転職か。壁打ちの末に腹が決まった

Chatworkを選んだ背景には、当時の加藤が抱えていた問題意識があった。若い頃から新規開発の案件を選んで渡り歩いてきたが、ある時期から手応えの薄れを感じるようになっていたのだ。

「案件ごとに扱う領域は違っても、ドメイン駆動設計でやること自体は変わらない。だいたい定型パターンになってきたんです」

同じ型で解けるようになった頃には、新規開発は少し物足りないものになっていた。関心が向かった先は、技術的負債の返済。長年の開発で複雑に絡まったシステムを、設計から立て直していく仕事だ。

「この手の作り直しは、みんな引き受けたがらないんですよ。報酬が出るとしても避けたい、これはやばいぞと身構えるような仕事が多いんです」

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そんな敬遠されがちな領域に、あえて踏み込んだのには理由がある。

「『あなたは何ができる人なんですか』と聞かれたときに示せる武器が欲しかったんです。ドメイン駆動設計だけじゃなく、それと掛け算になるスキルが」

エンジニアは年齢とともに、活躍できる場所が限られていく。だからこそ、自分がどこで生き残るかを考えなければならない。その危機感から選んだ一手だった。

「技術的負債の返済が、心からやりたい仕事だったかというと、そうではない。やらずに済むならそれでもよかった」

情熱ではなく、状況を読んでの判断だった。石川が「もともと好きなことに突き進むタイプだった。でもここではキャリアの生存戦略として、合理性を取ったのですね」と投げかけると、加藤も頷いた。

その挑戦の場となったのが、Chatworkだった。長年の開発を重ねてきた大規模メッセージングシステムを、DDDとScalaを軸に、CQRS+ES(※)というアーキテクチャで根本から作り直す。まさに、誰もが身構えるような技術的負債への挑戦である。加藤はテックリード兼アーキテクトとしてこれを主導し、入社から10年が過ぎた頃、ひとつの区切りを感じていた。

「僕の感覚では、やりたいことはほぼやり切りました。“十年一仕事”という言葉のとおりだな、と」

現場からはもう少し続けてほしいという声もあった。それでも加藤は、次の場所へ踏み出すことを選んだ。後押しになったのは、年齢から逆算した現実的な計算だった。

「54歳なので、定年まであと10年ちょっと。定年してから新しいことを始めるとは思えない。独立して自分の基盤をつくるなら、今のうちにやっておかないと。体力的にも精神的にも、後になるほど大変ですから」

独立となると、開発以外に会社の経営や事務もこなすことになる。そこに慣れる時間を含めれば、大変なことは早く始めたほうがいい。そう判断した結果だった。

もっとも、選択肢は独立だけではなく、別の会社に転職するという道もあった。決断に際し、加藤がキャリアの相談相手に選んだのがFindyでエグゼクティブ層のキャリア支援を手がける石川だった。

独立か、転職か。石川との壁打ちは、その二つの道を具体的に思い描いてみる時間になった。さらに石川は、かつて同じ分岐に立った先達——自ら会社を率いるCEOやCxOを経験した人物を、加藤に引き合わせている。

「あの時間があったからこそ、独立に踏み出せました。何かを決めるには、選択肢を並べて比べてみる必要があります。仮に転職したら自分はどうなるのか。そこまで具体的に思い描いて、ようやく納得して選べました」

「自分で会社をやっていた方や、経営に近い立場を経験された方を紹介してもらったんです。独立した場合と、組織に残った場合と、その先に何が待っているのか。いいことも大変なことも、両方を生々しい話として聞けました。想像で考えていたものが急に解像度を持った感覚で、あれがなければ、ここまで腹は決まらなかったと思います」

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そうして二つの道を見比べた上でなお、消えずに残る気持ちがあった。

「結局、自分がリスクを背負ってでも選びたいのは独立の道なんだ、と腹落ちしたんです。だから決断できました」

「好き」を貫くだけでは、エンジニアとして長くは続けられない。だからこそ武器を増やし、状況を読んで合理的に選んできた。その延長線上で挙がった独立という選択もまた、感情ではなく計算の産物だった。だがその計算の先で最後に残ったのは、やはり「リスクを取ってでもやりたい」という「好き」の感覚だった。合理的に比べ尽くしたからこそ、譲れないものがはっきりしたのだ。

※CQRS(Command Query Responsibility Segregation)は、データの更新(コマンド)と参照(クエリ)の責務を分離するアーキテクチャパターン。ES(Event Sourcing)は、データの現在の状態ではなく「何が起きたか」というイベントの履歴として記録・保持する設計手法。両者は組み合わせて使われることが多い。

📝 石川メモ

あらゆるキャリアの選択肢をひととおりやり尽くした方には、その先に用意された道がありません。だから、次は自分で選択肢を描くことになります。どの道が自分らしいか、そこに唯一の正解はありません。見比べた末に、ようやく納得して選べるはずです。私の役割は、その選択肢を一緒に並べ、見比べるお手伝いをすることだと思っています。

独立後の実践。教えることは、学ぶことでもある

独立後の加藤は、複数の企業の技術顧問を主軸にしている。そのかたわらで力を注いでいるのが、自分のノウハウを後進のエンジニアに渡していくことだ。長年かけて積み上げてきたものを、形にして手渡したい。その根っこにあるのは、「自分がいなくても回る仕組み」をつくりたいという思いである。それを、加藤は独特の言い回しで表現する。

「はっきり言って、僕の脳みそをコピーしてインストールさせたいくらいの感じなんですよ」

渡したいのは人格や技術そのものというより、その奥にある「ものの見方」だ。

「とはいえ、ノウハウだけをコピーしても意味がないんです。僕のような視点や経験があるのだと知ってもらうことで、相手の視野が広がって、考える幅が広がる。そうなってくれたらいいな、と」

採算は、あまり考えていないという。「やりたいことと言えば、こういうことなんです」——そう言って加藤は笑った。

実際の取り組みのひとつが、月額制の個人支援だ。月1万円で、時間は使い放題。いまは10名ほどに広がっている。日々、技術や設計、キャリアについての相談や壁打ちが寄せられる。そしてそれは、一方的に教える時間ではない。

「自分がいいと思っている開発のノウハウでも、相手にはうまく伝わらないことがあるんです。何が難しいのか、どこでつまずくのか。それを教えてもらえることが、自分にとってもプラスになっている」

教えることが、そのまま自分の学びに跳ね返ってくる。与えるだけに見えて、加藤自身もまた受け取っている。

こうして個人支援で関わる相手のことを、加藤は「弟子」とは呼ばない。そこには、彼なりの距離の取り方がある。

「お金の関係なら、『今月は厳しいので、いったん止めます』と言える。でも弟子ということになると、そう簡単にやめられなくなる。ずっと続けなければ、という空気になってしまう。それはお互いにとってよくないので」

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近づきすぎず、相手の自由を残しておく。ノウハウを渡しながらも、相手を縛らない。そのほうが、結局は相手との関係も長く続く——加藤はそう考えている。

数多くのエンジニアのキャリアを見てきた石川も、「かとじゅんさんのようなハイスキルのエンジニアになりたい人にとって、こうしてご本人に相談できる場があるのはとても良いことですよね」と言葉を添えた。

人に教えることへの関心は、講師業にも及ぶ。前職時代から続けているサマーインターンの講師を年に一度務め、加えてこの夏には、知人の紹介で受けたドメイン駆動設計の講座も控えている。渡すことと、つくり続けること。その両方が、いまの加藤を形づくっている。

📝 石川メモ

教える側に回るのは、第一線を退くことだと思われがちですが、かとじゅんさんを見ると違うとわかります。知見を言葉にして人に渡す行為は、自分の理解を問い直し、現役であり続けるための営み。面談でも、そう望むシニアエンジニアは少なくありません。好きだから前線に立ち続け、結果として後ろ姿で語っている。本人にその自覚はないかもしれませんが、そこが「かとじゅんさんらしい」と感じます。

変わり続けることで、第一線に立ち続けられる

渡す側に回っても、加藤は手を動かすことをやめない。いまも、空き時間はオープンソースの開発に費やしている。

設計を突き詰めると、既存のプログラミング言語の機能だけでは限界がある。そこで、並行処理の設計手法である「アクターモデル」を扱うための基盤「fraktor-rs」を、Rustで書いて公開しているのだ。

「商業的なサービスではなく、完全に自分の趣味です。収益のことは考えていません。自分の私利私欲のための開発で、ゲームをやっている感覚に近いですね」

「完全に趣味ですか」——石川が思わず確かめると、加藤は迷わず頷いた。

AI駆動開発の領域にも、自ら手を動かして関わっている。成瀬允宣氏(@nrslib)が手がけるAIオーケストレーションツール「TAKT」には、コントリビューターとして加わった。さらに加藤自身も、そのTAKTを基盤に、仕様駆動開発(SDD)のワークフローをまとめた「takt-sdd」を公開している。第一線で手を動かす感覚を、加藤は手放していない。

AI時代のエンジニアの生存戦略をどう描いているのか。石川の問いに、加藤の答えは意外なものだった。

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「まず大事なのは、よく観察することです。人はつい経験則で『過去がこうだったから、次もこうなる』と思い込んでしまう。でも、それが外れることがある。だから、いま何が起きているのかを冷静に分析する。それが必要なんです」

ここ数年で、開発の当たり前は大きく変わった。それまでオモチャのように思われていた技術が、ある時点から急激に伸びることがある。

「イノベーションが起きるときは、S字カーブを描いて急に立ち上がる。人間は、このS字カーブを認知できないらしいんです。生成AIだっていきなり現れたわけじゃない。歴史があって、使い物にならないと言われていたものが急に台頭した」

だからこそ、ひとつの軸に賭けてはいけない、と加藤は言う。

「オプションは2つ以上持っておくことが大事です。『この道で生きていく』と1つに決めてしまうと、それがダメになったとき、身動きが取れなくなります。ひとつのスキルに頼らず、別の引き出しも持っておいたほうがいい」

技術顧問、個人支援、講師、そして自分の開発。複数の軸を持つ加藤自身が、その考え方を体現している。

AIがコードを書くようになり、ハードスキルは急速に代替されつつある。

「原理原則や設計がわかるところまでは自分で手を動かして、その先の実装はAIに任せる。そうするとレバレッジが効きます」

実装そのものに費やす苦労は減っていく。代わりに重みを増すのは、AIには代替されない領域だ。要件のどこを問題と見るか、利害の異なる人たちをどう束ねるか、答えが一つに定まらない場面で何を選ぶか。コードの外側にある判断が、これまで以上に成果を左右する。皮肉なことに、AIが実装を担うほど、人と向き合う力がものを言うようになる。加藤の関心も、いま少しずつそちらへ移りつつある。

数多くのCxOやVPなどの役職者のキャリアに向き合ってきた石川も、ここに深く頷く。これは独立した加藤に限った話ではない。組織の中で人を動かす立場にある人ほど、AIには任せられない判断と向き合うことになる——石川はそう見ている。

好きだから、手を動かし続ける。けれど一つの場所には留まらない。軸を増やし、向き合う相手を変えながら、現役であり続ける。第一線に立ち続けるとは、同じ場所に留まることではない。変わり続けることだ。加藤潤一の歩みは、そう語っている。

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撮影:関口 達朗
Findy 石川 拓のエグゼクティブキャリア・ノート
かとじゅんさんの話で印象的だったのは、しっかり迷い、選択肢を比べ尽くした先に、かえって譲れない気持ちがはっきりした、という点でした。どんなに経験が豊かな人でも迷いを乗り越えています。独立と転職の両方を具体的に思い描いたからこそ、「それでもリスクを取ってやりたいのは独立だ」という手触りにたどり着いている。選択肢を並べ切るほど、本当に大切にしたいことが浮かび上がってくるのだと思います。

だからこそ、「自分は何をやり切ってきたのか」「次に何を求めているのか」を一緒に整理する壁打ち相手が必要です。キャリアの選択肢を広げたい方は、ぜひ一度エグゼクティブ面談でお話しさせてください。まだ募集前の段階の情報や、非公開求人の情報もお伝えできます。方向性が定まっていない段階でも構いません。一緒に整理するところから始めましょう。

キャリアの「選び直し」を、ひとりで考える必要はありません。

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