「もっと成果を出さなきゃ」「スキルを増やさなきゃ」。そんな焦りに押され、やることを積み重ねていないでしょうか?けれど、本当に働き方を変えるのは“足し算”ではなく、“引き算”かもしれません。この企画では、エンジニアたちがあえてやめたことと、その後に訪れた変化をたどります。ムダをそぎ落とした先に残る、本当に大切な仕事や自分らしい働き方とは。誰かの“やらない選択”が、あなたの次の一歩を軽くし、前向きに進むヒントになりますように。
こんにちは、uzullaです。近年はPHPとAIを軸に、30年ほどWebエンジニアを続けています。フリーランスとして、プライム企業からベンチャー企業、炎上案件から穏やかな運用現場まで、幅広い現場で手を動かしてきました。S級スターエンジニアではありませんが、転生もののラノベで言えば「最初の街のハンターギルドにいる、世界は救わないけど村は救う人」みたいな立ち位置です。かっこいい飛び道具より、粘って手を動かして物理で倒すタイプです。
ということで、今回「エンジニアたちの"やらないこと"リスト」というシリーズのお話をいただきましたが、正直に言うと困惑しました。私はやらないことを特に決めていないからです。とはいえ、やらない理由もないので引き受けました。
だからこのテーマでも、まず頭に浮かぶのは「何をやらないか」より「何をやりたいか」のほうでした。
さて、私が今やってないことってなんだろう……思い当たるのは髪を切らないことくらいです。たぶん2〜3年くらい切っていません。結果、めちゃくちゃロン毛になりました。ヒゲも長い。中年男性は清潔感が大事と聞きますがガン無視ですね。まあメリットもありまして、こんな風貌の人間は少ないので大体気づいてもらえます。デメリットは端的に言えば「小汚い」。
ただ、これは「やらないと決めた」んじゃなくて、「今やっていないだけ」ですね。明日切るかもしれないし、さらに2年切らないかもしれない。
振り返れば、私の人生の大半がこれです。30年フリーランスのエンジニアをやってきて、意図的に「これはやらない」と決めたことが思い当たりません。気の向くまま、流されるままに今こうしている。つまり私には「やらないことリスト」がありません。……客先常駐くらいかな。それもやらないというか、やりたくないという感じです。
だから、この記事は他の方々のような「これをやめて人生をより良く」という話にはなりません。しかし「より良く生きること」は重要です。私にあるのは「やりたいこと」です。その上で「やらないことをつくらない」という選択について書いてみようと思います。
「(私がやりたいことは)なんでもやります」
私のキャリアはおおよそ幸運とめぐり合わせ、あとはいくばくかの努力で成り立っています。いわゆる生存バイアスってやつです。他人のキャリアは真似してもできるものではないですが、私の場合はさらに真似できるものではないし、真似したいものでもないと思います。
一番最初は機械やコンピューター好きな子供だった私に「サーバー構築できる?」と聞かれて「やります」と言ったところから始まりました。しばらくして「一部上場の仕事があるから会社を立てる必要がある」と言われて学校をやめ、会社を立てました。最初はサーバー・インフラでしたが、「手が足りない」からコーディングも始めましたし、「客先ヒアリングしてきて」といわれて営業も始まりました。
さらにしばらく後、SNSのDMで「なんか、Webとかできる?」と言われて「やります」と返して本格的な(?)フリーランスPHPerになりました。「ECやったことありますよね?Railsですけど」という話が来て「多分設計はできるんでやります」と言ってやったり、普通にコードを書くのかと思ったら教育していたり、AIの導入支援をしていたり。
コミュニティ活動も「俺もこういう集いにもっと参加したいな」と思っていたら「一緒にやろう」と言われて始めましたし、「カンファレンススタッフ募集」を見て「やりたい」と言って参加。後に登壇もやってみていたら、なぜかYAPC::Asiaでベストスピーカーになって「登壇必須だけどタダでYAPC::EUに行けるよ」「行けます」と言って、ついでにヨーロッパをレンタカーで旅行したり。
「ガチャ」を回し続けていれば、当たりが出ます。いや、引いた時は当たりかどうかすらわからなくて、後から振り返ったときに「あれが当たりだったな」とわかることも多い。だから面白そうならなんでもやる。まあ外れもあります、うまくいかなかったなという仕事もたくさんあります。そういう人生をやってきました。
もちろん、長く続けていると単価も上げなきゃいけないし、高単価は「再現性」を求められます。「uzullaさんにはこれをお願いしたい」と言われるようになる。それは専門性と呼ばれるもので、認めていただいてありがたいことです。結果的に専門外のことを引き受ける機会は減りますし、割に合わない仕事を断ったり、選り好みすることも増えます。
でも何かを「やらないと決めた」わけではない。面白そうだったら専門外でも「やります」と言いますし、言われなくても勝手に始めてもいます。その余地は常に残しておきたい。
「PHPの人」は外から貼られたレッテル
長くこの仕事をやっていると、「レッテル」を感じるようになります。Findyさんからお声をかけてもらったので間違いないでしょうが、「レガシーPHPの人」というレッテルがあるようです。由来は普段の現場や発言、登壇などもあると思いますが、お客さんから「PHPで」という依頼が多かっただけです。結果、他人から見てPHPスペシャリストに見えているみたいです。実際、今はそれが一番稼げます。
じゃあ「PHP一本でやっていくぞ!」と決心しているかというと、していません。そもそもPHPしかない現場なんて逆にレアですよね。別の言語を求められたら普通にやります。TSを書いたり、Goを書いたり、Pythonを書いたり。プログラミング以外にもDockerやIaCやCIの整備、DBAもしています。プログラマーではなくディレクションやマネジメント、メンター、コンサル。なぜか仕事で映像制作やデザインまですることがあります。
業界に30年いると、市場の需要が変わっていくのを知っています。「私はPHPの人だ」と決めたら時代の変化に対応できません。元々ジェネラリストだと思っているので、需要には対応していきたい。
さて、お題の「やらないことリスト」にはそのあたりで「ソリの合わなさ」を感じます。「やらない」と決めた瞬間、それはポリシーや聖典になりうる。頻繁には更新しないでしょう。そこが私からすると引っかかります。
市場、技術革新や流行、自分の年齢、家庭環境、体力、興味関心……若い方にはピンとこないでしょうが、たとえばこの1年のAIの台頭はどうですか? 世界は突然全部変わります。昨日と今日、朝令暮改は当たり前なんです。
だから私は「決めごと」をつくっていません。都度選択しています。……などとかっこよく書けるけど、節操がないだけだと言えば、それはそうです。
それでも、何かルールを決めた瞬間にそれを守ることが目的になりそうで、それは結構怖いんです。
「惰性でやらなくなる・やってしまう」怖さ
何が怖いのかというと、「惰性でやらなくなる」あるいは「惰性でやってしまう」ことが怖いです。「決めたからやらない」のと「面倒だからやらない」は違うと皆さんわかると思いますが、外形的には「やらなかった」という同じ結果になります。逆もまた然り。
私自身、惰性はめちゃくちゃあります。同じツールを使い続ける、同じやり方を繰り返す、新しいものを試すのが面倒になる。「〜でできるからそれでいいや」「誰かがやるだろう」。自分の腰の重さを感じます。でも割とどうでもいいことです。新しいもの、流行ってるものがいいなんて思っていないので。堅実・確実な過去を踏襲するのは悪いことではありません。
では、惰性の何がまずいかというと、簡単に余白を埋めてしまえることです。
専門性が一定認められていると、慣れた仕事で簡単に余白を埋めて金が稼げます。依頼は来るし、やり方もわかっている、断る理由がない。でもそれを続けていると、「ガチャ」を引く余裕がなくなります。やればやっただけ生きるのに必要な金は儲かるとしても、面倒でも新しいこと、面白いことに出会えなくなる。惰性でスケジュールが埋まり、ルーチンになります。ルーチンは楽です。多少アップデートしていけば日々食えていきます。
で、「楽」なんだけど、「やりたかったか、楽しかったか」と聞かれると答えに詰まります。
ただ、誤解しないでほしいのは、余白は無為とは違います。余白は活用するためにある。金も余白で新しいことにトライするために重要です。なので、意味無く余白をつくれというわけではありません。そもそも仕事に熱中できるのは尊いことですので、暇な時間をつくるよりは仕事等をしてもよいでしょう。ただ、ふとやりたいことが「ガチャ」から出たときにやれるように準備する。そういった楽しい事をまたやるために仕事を頑張る。そのくらいの感覚です。
年齢を重ねて見えてきたこと
「ガチャ」はセレンディピティの話ですが、それ以外にあなたが子供の頃からやりたかったことってありませんか? 私には色々あります。年齢を重ねると、「やらない」と「できない」の境界が移動します。
若い頃の「やらない」は選択でした。「今はこっちをやりたいからそっちはやらない、いつかやる」。でも年を取ると「やりたいけどもう無理」が出てきます。具体的な理由は人それぞれですが、「やらない」ではなく「できない」が増えていくんです。
どっちが怖いか。私は「できない」のほうが怖いことに気づきました。「やらない」は意思で選べますが、特に年齢や自分ではどうにもならない義務による「できない」は不可逆です。
「やらない」を意思で選べるのは幸せです。「やらないことリスト」をつくること自体もその一つだと思います。
私は若い時代を相当早く切り上げて仕事を始めてしまったので、損したなと思うことがあります。正直、もっと遊んでいたほうが人生楽しかったんじゃないの?と思ったりします。取り戻そうと必死になると「いい歳をしたおっさんが必死だな」と言われることも本当にあります(本当に尊さがわかってる人はそんなこと言いませんが)。
その上で、この先のキャリアの全貌がうっすら見えてきた今、「これで続けていって食えていけるけど、いいのか?」と自問することが増えました。死ぬときに「効率的な人生だったな」「義務だけは果たしたな」よりも「やりたいことやって楽しかったな」と思いたいです。やりたいことを優先したい。結果としてやらないこともある。
自分が勝手に考えている義務を手放す
ここまで「やらないことリストは持たない」と言いましたが、直近やっていないこともあります。たとえばカンファレンス・勉強会関連です。頼られるし、楽しいけど、若い人も増えたし、勧められたり依頼されたりしない限りはほぼしていません。
これは仕事も含めてです。色々なものを少しずつ手放して若い人に渡していかないと、「落穂拾い」のやり方を次の世代が知らないまま育つ可能性があります。若手の育成はすごく重要だと思います。
正直、若手からは面倒ごとをやってくれるおじさんが逃げてるように見えるかもしれませんし、押し付けに感じるかもしれません。でも、世代交代がちゃんと行われるためには面倒もちゃんと渡していかないといけないと思っています。ちゃんと渡さないと結局、重要な場面で「経験豊富な人に〜」と言われて若い人が選ばれないことがある。そして「経験」とは結局、面倒ごとと切り離せません。
とはいえ、全部を「やらない」と決めたわけではありません。ほかのやりたいことを優先した結果、今はやらない。またすぐに「カンファレンスやりたい」と思ったらやるかもしれません、若手には悪いですけどね。でも若手が頑張っていればおじさんが出る幕がないかもしれないので遠慮せず頑張ってほしい。
また、義務や責任を無視して自己中心的になれ、ということではありません。私を知ってる人なら、私が面倒事に付き合うことはしっていると思います。ちゃんと頼られた時はかなり頑張ります(やってくれて当然!みたいな人に付き合う義理はないですが)。その上で成功・完成の二歩手前くらいで手放しはじめて、「成果」をもっていってもらうようにしています。
同期が出世しても気にしない
30年もやっていると、同世代のエンジニアがマネージャーになったり、リードになったり、OSSで有名になったり、CTOになったり、上場企業の役員になったりしています。世間的に言えば私は「出世していない」側の人間でしょう。たとえば、30年ずっと便利屋的な、町工場の親父をやっているように見えるでしょう。
でも私は別に、彼らと同じポジションに行きたいわけではありません。自分なりの責任ややりがいを抱えていて、それで十分面白いし、ちゃんとフリーランスとして評価してもらっています。
世間には暗黙的な期待というものがあります。「あの年齢ならこの役職にいるべき」みたいな。この業界は全体が若いのでほぼ全員がキャリアステップアップしないといけないような雰囲気がありますが、他業種を見ている限り、それは結構変わっていると私は思っています。(最近は、ICやスタッフエンジニアみたいなかっこいい肩書がふえましたが)
私はただの流しのWeb系エンジニアです。
別にニッチになりたいわけではありませんし、誰かを優先して自己犠牲的になっているわけでもなく、風潮に付き合う理由がないと思っています。
でもまあ、話が来たら突然そうなるかもしれません。別にやらないと決めてるわけではなくて、やってないだけなので。(やったらできるのか?と言われると、まあそれはそれ、これはこれですが)
YOLO
YOLOという単語があります。You Only Live Onceの略で、「人生は一度きり」という意味です。仕事は楽しいし、仕事ばかりやっていてもいいのですが、仕事への最適化や自己犠牲の結果、やりたいことが出来ないのもさびしい気がします。
仮に私が年相応の普通の責任ある会社員だとして、突然数週間くらい海外に行って、リモートワークしながらアメリカやEUをレンタカーで縦断横断してみたり、東南アジアをフラフラしてRPGを撃ってみたりできるでしょうか?なかなか難しいだろうなと思います。
実は今も仕事にまったく関係ないことにトライしてみたりしています。金も時間もかなり使っています。これをやっているとエンジニアとしての成長が鈍化する気がします。そんなことしてたら生涯年収や老後の貯蓄とかに影響があるでしょうね。
でも、コスパで人生を設計する気はありません。最短ルートでクリアしたり、効率の良い狩り場を周回するよりも横道を楽しんでおきたいなと思います。
あとは「Life goes on」という言葉も好きです。どうあれ死ぬまで明日は来ますし、明日は明日の風が吹きます。稼げなくなれば相応の生活と楽しみで生きていけると思います。そして、そこでもし必要ならまたそこでしゃかりきになろうと思います。
おわりに
ということで、私には「やらないことリスト」はありません。あるのは「やりたいこと」です。特に決めずに都度ジャッジしています。むしろ何かを決断するときに邪魔になるものは遠ざけています。
私はやらないことリストなしで生きてきましたが、それはただ私が今までそうしなかっただけです。つくるなってことではないし、いつか私もつくるかもしれない。
日々の決断の回数が多すぎて困る人は、やらないことリストをつくるのもいいことかと思います。決断は大変なので、「やらないことリスト」は道具としては優秀そうです。迷いが減るでしょう。人に説明するのも楽そうです。
私は自分のスタイルを万人に勧める気はありません。ただ、私はリストを「守ること」があんまり楽しそうに思えないのと、だらしない人間なので、前述の惰性につながりそうです。それに随時「このリスト、まだ合ってるかな?」と確認するのも面倒そうだからやりません。
それより人生は一度きりなので、死ぬときに「楽しかったな」と思えるといいですね。なので「やること」を選び取りたいなと思います。こういう行き当たりばったりは子供っぽいと思いますか?そうですね、それで叱られることもありますね…。まあでもそれも一興です。
さて皆さんはどうですか?

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