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6歳からコードを書いてきた私が選んだ、“やらないこと”

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Admit AI / Gista 創業者

江島 健太郎 / Kenn Ejima

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「もっと成果を出さなきゃ」「スキルを増やさなきゃ」。そんな焦りに押され、やることを積み重ねていないでしょうか?けれど、本当に働き方を変えるのは“足し算”ではなく、“引き算”かもしれません。この企画では、エンジニアたちがあえてやめたことと、その後に訪れた変化をたどります。ムダをそぎ落とした先に残る、本当に大切な仕事や自分らしい働き方とは。誰かの“やらない選択”が、あなたの次の一歩を軽くし、前向きに進むヒントになりますように。Admit AI / Gista創業者の江島 健太郎さんに伺いました。


「エンジニアたちの“やらないこと”リスト」というお題をFindy Mediaさんからいただいて、おっ、これは得意分野だぞ?と思ったんですね。しかし逆に、どの話にしようかな?と迷うことになりました。

思えば常に、“やらないこと”だらけな人生だった

というのも、自分の人生は断捨離の連続で、とにかくものを持たず縛られるものを減らして身も心も軽く生きていく、ということが徹底して染み付いていたからです。

サンフランシスコからニューヨークへ引っ越すとき、持ち物のすべてが段ボール箱2個とスーツケースに収まっていたので小さなMINI Cooperのハッチバックに詰めて大陸横断しましたし、今ではめずらしくもないですが10年前にはすべてをクラウドに移行完了しており、紙類にいたってはすべてスキャンして契約書にいたるまで1枚残らず全て捨てるポリシーで、火事で持ち物すべて燃えてしまっても大して困らない、という状況をつくり上げていました。

日本に帰ってきてからはしばらく家なしの多拠点生活をしていましたし、TODO管理は専用のアプリを使わずテキストファイル1枚だし、MacやiPhoneの設定は「強い意思をもって」デフォルトだし、とにかくこの世界に自分の存在を感じられないぐらいフットプリントの軽い生き方をしてきています。

仕事面でも、以前Findyさんのイベントでお話させていただいたとおり、Dockerなし、Homebrewなしのミニマルな「限りなくデフォルト」のセットアップで、非エンジニアのバイブコーダーでも使える技術スタックをつくってきています。

なので、自分にとっては「やめた」というよりも元から「やってない」という感じなんですね。

そこで、このお題が出された背景を考えてみたんですが、それってつまり皆さん日々「やるべき」ことに追われていて、なんとなく惰性で続けているけれども、本当にこれって必要なのかなぁと疑問に思っている。思い切ってやめてみたいけど、本当にそうしたら事故りそうで勇気が出てこない。そんな感覚があるので、やめる覚悟をもってやめた人の話を聞いてみたい、ということかなぁと思ったんです。

“やめられない”は、だいたい惰性から始まる。

でも、これってプログラミングでも同じことが起きるんですよね。

今は必要ないけどいつか必要になるかもなぁ、と軽い気持ちで入れた一つの機能が、なんとなく外すタイミングを逃したまま存在を忘れられ、後から加わってきたいろいろな依存関係とからまって、何度ものリファクタリングを生き延び、外したいと思った頃には依存関係がもつれあって外すのが大変になってしまった。結果、外すことを諦めてしまい、さらに深く複雑性の海に沈んでいく…

こんな「ちょっとした出来心が沼にはまっていく」技術負債の経験、長くエンジニアやってる皆さんならありますよね。

この教訓には YAGNI(You Ain't Gonna Need It)という名前がついています。「必要になるまで実装するな、先回りするな」というルールです。別名KISS原則(Keep It Simple, Stupid)ともいいますね。こちらは「単純でバカなままにしておくべし」でしょうか。

自分が工夫したこと・育ててきたものには愛着がわく。こんな奇跡のコードは消したら2度と書けないかもしれないから残しておきたい。このデータは削除されてもDBからDELETEせずに削除フラグをつけて論理削除(soft delete)にしておこう。せっかく登録されたデータだし、いつか必要になるかもしれないから。そういう感情は自然なものだと思います。しかし、そういった愛着は裏を返せば人間の弱さでもあります。

その弱さが技術負債につながることを自覚した先人たちによって言語化された教訓です。
Wikipediaによると、断捨離の定義は

「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。

とのことです。こんまりメソッドの流行をみても、この「もったいない」の観念が積み上げる負債については、社会的な注目が集まっているといっても過言ではありません。

であれば、つくったものに愛着が湧いてしまうなら、つくらなければいいじゃない、というわけです。

そこまで思い至って、なぜ自分がここまで徹底して「何もしない」ことばかり決めてきたのか、わかってきた気がします。

私は自分の意思の弱さには自信がある(?)ので、「あれもこれも、やることがたくさんある」という状況になると、手を付けやすいことばかりやってしまい、それに甘えてしまうことに気が付きました。

あえて「やることはただ一つ、それ以外のことは何もやることがない」というノイズのまったくない状況に自分を追い込むことで、言い訳ができないように退路を断つことができます。

こうまでしないと、のらりくらりと言い訳してダラダラとやるべきことをやらない、意志が弱っちい人間なんですね。本当にやるべきことに対していつまでも重い腰が上がらない。大掃除を始めると、昔好きだった本などを読み始めて止まらなくなり、掃除が一向に進まなくなるアレです(笑)。それならばと例外を認めず本棚ごと捨ててしまうというハードコアな決断は万人におすすめできるものではないですが、気が散ることによる生産性の低下をイメージしやすい例ではないかなと思います。

そして私は、コードを書くのをやめた

ではそんな私が最近「やらない」と決めたことは何か。

それが、「手でコードを書くこと」です。

ここで言う「コードを書くのをやめた」とは、実装を理解しなくなった、設計を放棄した、という意味ではありません。キーボードをタイプするという作業を人間が手でやる前提をやめたという話です。

とはいえ、それは並大抵のことではありませんでした。

私は、6歳の頃からコードを書いてきています。

いとこのおうちにはゲーム機があって、それが羨ましくて、毎週末、父親にせがんで車で片道1時間弱のいとこ宅まで遊びに連れて行ってもらってました。

そんなある週末の帰り道、父親が「パソコンというのがあれば自分でゲームをつくれるらしいぞ」と一言、つぶやいたのです。その一言がきっかけで目の色が変わった私は、母親の買い物について行っては本屋に立ち寄り、ゲームのプログラムが掲載されている雑誌(当時はそういう雑誌が色々ありました)を読みふけっていました。

その後の週末は、その雑誌をもって近所の電気屋さんに駆け込み、そこに展示されているパソコンの前を陣取って「立ち読み」ならぬ「立ちプログラミング」していました。2〜3時間もぶっ通しで、雑誌に掲載されているゲームのプログラムを打ち込んでは遊び、改造してみることで、自然にBASICという言語を覚えました。それが自分とプログラミングとの出会いです。

小学校時代、友人たちがプラモデルをつくっているときに私は画用紙に描いたキーボードでタイピングの真似事をする、という幼少期でした。パソコンが欲しいけど買ってもらえない「ナイコン族」だったのです。

そんな姿をかわいそうに思った両親が、2年ほど我慢したのちに初めて買ってくれたパソコンにさらにのめり込んでいき、9歳になる頃には自分のつくったゲームのプログラムを雑誌に投稿するまでになり、小学校を卒業する頃にはZ80というCPUのマシン語を脳内コンパイルして16進数で手打ちできるまでになっていました。

雑誌に掲載されれば、少額とはいえ「原稿料」という形で対価がもらえます。

私は、小学生にしてセミプロのプログラマーとしてデビューしていたのです。

その後、高校では友人たちとパソコン部の創設メンバーとなり、大学では「楽勝で単位もらえそうだから」という邪な理由でコンピューターサイエンスの学科を選び、卒業後はシリコンバレーへの近道かもしれないという下心でそちらに本社のある外資系の大手企業を選んだような人間です。

今でこそソフトウェア・エンジニア(SWE)といえば社会的に認められ、給与も高めでカッコいい職業、みたいな扱いになっていますが(羨ましいことこの上ない)、私の人生の大部分においてはオタクを代表するマイナーな職種であり、社会的には差別される側の立場でした。

コードを書かなくなった今、考えていること

そんな自分が、6歳から続けているライフワークである「コードを書く」という行為をやめるということには、もちろん大きな意味があります。

私はパソコンの黎明期からインターネット、スマホ、そしてAIまで、テクノロジー業界の大きな流れの変化を何度も見てきました。そんな中でも、今回のAIが最大の変化だと感じています。

2022年末にChatGPTがローンチした2ヶ月後には再起業し、もうAI以外はやらないと決めました。

その後の変化の速さは皆さんご存知の通りですが、とくに2025年の半ばぐらいから、Claude CodeやCodexの台頭によって、信じられないほどのスピードでエンジニアの働き方が変化してきています。

バイブコーディングという言葉が誕生したのは2025年2月でしたが、その頃はどちらかというと、非エンジニアがプロンプトだけでつくった脆弱なソフトウェアを揶揄するニュアンスがあったように思います。ところが1年後の現在、もはやバイブコーディングはエンジニアの世界にも定着し、Linuxの生みの親Linus Torvalsがバイブコーディングをするまでになりました。

かくいう私も、去年の前半はCursorやGithub Copilotを駆使してコードを書いてましたが、年初には人間 : AI = 90 : 10だったのが年末が近づくにつれて人間 : AI = 10 : 90と逆転し、自分の書くコードの量が激減しました。

今では、ちょっとした変更もすべてAIが行ったほうがミスも少ないので、手癖でやってしまいそうなのをグッとこらえてAIに書かせるようにしています。

手癖があるから我慢しなければいけない、というのは、AIネイティブ世代にない負債を背負った状況とも言えます。過去に長く積み上げてきた経験が負債化したというのは悲しいと思う人もいるかもしれませんが、おそらく読者の誰よりもコーディング経験が長いであろう自分は、この変化をポジティブに捉えています。

今はAIのコーディング性能が誰の目にも明らかになった頃なので、「コードを書くのをやめた」というのはリスクの低い、ずるい賭けに思えるかもしれません。

しかし、人間には自分の積み上げてきたものに対する愛着があり、それを否定するのはフェスティンガーの認知的不協和、別名「すっぱいブドウ理論」のために、AIコーディングはまだまだ人間に及ばない、とAIから距離を取っている歴戦のエンジニアもまだまだ多いと感じています。

自分のような人間が「コードを書くのをやめました」と言うことには一定の重みが伴い、そんな人の耳にも届くのではないかなと考えたのです。

あなたが人間としてやるべき仕事は、本当に「コードを書くこと」でしょうか。もし今日からコードを書かなくていいとしたら、何に時間を使いますか?

それを今一度、自分自身に問い直してみる時期がきていると思うのです。