開発現場でのAI活用が劇的に進み、今まさにAI時代への過渡期を迎えています。それに伴い今後、開発組織のあり方や、エンジニアの育成・採用にも変化が訪れることが予想されます。はたして、何がどのように変わるのでしょうか。そして開発組織を率いるエンジニアリングマネージャー(EM)の仕事からは何が消え、代わりにどのようなスキルが求められるのでしょうか。
「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス」の著者であるCamille Fournierさんに、AI時代のEMキャリアについて聞きました。インタビューはUbie株式会社の橋山牧人さんにお願いしました。
※ 本インタビュー記事は、2025年5月16日にファインディ本社にて行われた、招待制イベント「Camille Fournierさんと考える、AI時代のEMキャリアパス」を再編したものです。
AIの進化でEMの役割はどう変わるのか。アメリカでもまだ不明確
— まず始めに、今回のテーマについて率直なご意見を聞かせてください。 AI時代に突入し、EMの役割からなくなるもの、逆に残るものは何でしょうか?
Camille:これは大変難しいテーマです。AIの進化がEMの役割にどのような影響を与えるか、まだ誰も明確な答えを持っていません。
例えば生成AIのモデル開発に積極的な姿勢を示している、ある企業のCEOは、“半年以内に、コードの90%はAIが生成したものになるだろう”と予測していました。しかし実際のところ社内ではセキュリティレビューやIaCツールの対応に追われていて、まだ実現しそうにありません。また極めて積極的にAI活用を推進する、世界的IT企業の上級人事担当であっても、AI導入による経営の方針転換について明確な答えを持っていませんでした。つまりアメリカのトップ企業でさえ、この問いに関してはまだ不明確なのです。
ただ、コード作成の効率化など、AIが一部の技術的な作業を代替することで、マネージャーが技術に直接関与しやすくなる可能性は指摘されています。こうした変化の一方で、人間的な信頼関係の構築や、チームメンバーのモチベーション維持といった、AIには難しい役割は依然として重要であり続けるでしょう。
— AIによって開発が効率化されていけば、組織規模が縮小することが予想されます。企業の採用戦略はどのように変化すると考えられますか?
皆さんも実感されているかもしれませんが、採用戦略は二極化する可能性があると思います。ある企業では、ジュニアエンジニアの採用はストップして、AIを最大限に活用できる経験豊富なシニアエンジニアのみを採用する方針を採りました。その一方で、スタートアップ企業などはこの状況を逆手をとって、プロンプトコーディングなどに長けたジュニアエンジニアを積極的に採用し、AIとの協業を優先させる戦略を採っているようです。
いずれにせよ新しい視点やスキルを持つ人材をチームに加えることは、チームの文化にとって必要な要素です。多様な経験を持つ人材の採用は、引き続き重要であり続けるでしょう。
— 日本でも出社回帰が起こっています。AI時代において、対面でのコミュニケーションはより重要になりますか?
実はアメリカでは、AI技術を悪用したオンライン面接での“なりすまし”が問題になっています。皮肉なことに、AI技術の発展によってリモートでの雇用が難しくなっているのです。
またAIによって作業が効率化される分、エンジニアはより多くの時間をプロダクトや顧客の理解に費やすようになるでしょう。その結果、対面での議論や情報交換が増えるとも考えられます。特に、暗黙的な情報や文化的なニュアンスの共有においては、いつの時代でも対面でのコミュニケーションが有効であり続けるでしょう。私たち人間は感覚的に、対面で話した方が楽しいですから。
人事評価や育成に、人間的な要素は不可欠。1on1を大切に
— AIは作業の効率化に役立ちますが、技術習得には応用されるでしょうか? つまり、エンジニアの育成コストを減らしてくれるでしょうか?
AIが生成するコードの評価や、複雑なコードベースのコンテキストを理解するためには、依然として人間の指導が必要です。AIツールは学習を支援する可能性はありますが、特にジュニアエンジニアにとっては、“AIの提案を適切に判断するためのトレーニング” がより重要になるかもしれません。
また、全てのエンジニアにとって、AIツールの効果的な活用方法そのもののトレーニングも必要となるため、育成の焦点が変化する可能性が考えられます。
— 人事評価はマネージャーの重要な業務の1つです。人事評価にAIを活用するとき、EMは何に注意すべきでしょうか?
人事評価においては、人間的な要素は不可欠です。AIがデータに基づいて評価を生成したとしても、その結果をそのまま受け入れるのではなく、マネージャーが個々の貢献や状況を考慮し、最終的な判断を下すべきです。
誰もアルゴリズムに評価されたり、指示されることを望んでいません。むしろAIによる評価に頼り過ぎれば、チームの信頼関係を毀損しかねません。エンジニアにとって本意でない仕事の依頼やフィードバックでも、前向きに取り組んでもらうためには、人と人との信頼関係が必要です。信頼獲得には、日頃からマネージャーが彼らの仕事に注意を払い、関心を持っていることを示していきましょう。
— 信頼関係の形成に関しては、書籍でも1on1の重要性が記されていました。AI時代においては1on1の役割は変化すると思いますか?
AIが技術的な情報収集を効率化する一方で、1on1はチームメンバーの定性的なフィードバックや懸念を得られる唯一の貴重な情報源となります。AI時代では時間の余裕が生まれるはずです。これまでよりも1on1の時間を確保しやすくなるので、チームメンバーとの人間的な繋がりを維持するチャンスを大切してほしいものです。
真のボトルネックを見つけ出し、AIが代替できない解決策を講じる
— AI活用によって、開発のボトルネックは克服できると思いますか?
AIの活用によってコードを書く速度は大幅に向上しますが、それだけで開発のボトルネックを克服するとは言い切れません。なぜならボトルネックはコード生成以外にも、仕様策定やデザインの確定、コードレビュー、テスト、リリース作業といったさまざまな工程で起こりえますし、それぞれの工程で最適なAI活用方法がまだ見出されていないからです。
このように考えるとEMのスキルとして、真のボトルネックはどこにあるのかを見抜く力が、AI時代にさらに重要になると思います。
— 開発プロセスにAIツールが導入されたら、EMは新たにどのような対応が求められるでしょうか?
AIが3〜4人分の働きをすると考えると、EMはこれまで以上に管理する対象が増えるということです。そのためには、継続的デリバリー、テスト自動化、レビュー体制、仕様策定のプロセスなど、開発の基盤を包括的に整備・改善していく必要が出てくるかもしれません。
基盤整備ができるまでは、これまで通りプロダクト要求の増加に"待った”が言えるEMでなければいけませんが、同時に開発プロセスの健全性維持に優先的にリソースを投じ、価値ある成果を素早くリリースする準備が必要になるでしょう。
“技術スキル”の意味は変化しても、貴重性や評価は変わらず
— AI時代においても、EMには優れた技術スキルが必要だと思いますか?
アメリカではEMはより技術的であるべきだという論調がありますが、一方でAIが人間の技術力を上回るのは時間の問題だとも言われ、そこには矛盾が生まれています。特にアメリカらしい主張だと思うのは、AIの進化によってマネージャー不要論が強まっていることです。
ただ広義での技術スキル、つまり課題を技術的に解決する力は、貴重なスキルです。技術的であることはチームの信頼を得るためにも、生産性を加速するためにも価値があります。ただしAI時代においては、”技術的”という言葉の意味は変化する可能性があります。特に新任のマネージャーにとっては、AIを学び慣れることはこれからのキャリアに非常に重要だと思います。
— AIのコード生成が中心になった時、EMはどのようにしてプロダクト品質を担保すべきでしょうか?
開発効率が上がり、プロダクトのアップデートがますます早くなるため、品質の維持は今以上に難しくなります。特に全体像を把握することが困難になるため、これまで以上にEMとPdMとの連携が必要でしょう。顧客からのフィードバックやテストの頻度を増やすなど、インテグレーション体制を強化する必要があると思います。
— 最後に、技術的負債について伺います。今も技術的負債の返済や経営層への説明に苦労しているEMは多いですが、AI時代ではこの状況に変化はあるでしょうか?
そもそも技術的負債の意味合いも変わるかもしれません。仮にAIが正しいコードを書き続けパフォーマンス劣化がなければ、もはや負債はなくなります。
AI時代の技術的負債がどうなるかは分かりませんが、普遍的なアドバイスを1つお伝えします。それは、チームの時間は思っている以上に、コントロールできるということです。私は常に、プランニングの時点で一定の時間を、技術的負債の返済やテストなどに割り当てる前提で計画しています。短期的な成果を上げるだけでなく、長期的に開発が進化し続ける環境を整えるために、時間配分に注意してみてください。
最後に
AIの進化に伴いEMの役割はどう変わるのか—。明確な答えは出ていないながらも、Camilleさんの豊富な経験と知見から、考えるヒントは多かったのではないでしょうか。
インタビューを担当された橋山さんには、本イベントを振り返るブログ記事を執筆していただきました。橋山さんが上記の質問を投げかけた意図や、インタビューを終えての感想、橋山さんが考えるEMの未来予想図、などを綴っています。ぜひ合わせてご覧ください。