Findy主催のイベントにて、『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』の著者であるCamille Fournier さんと、生成AI時代のEMキャリアについて対談させていただく機会がありました。生成AIの台頭により、エンジニアリングマネージャー(EM)の役割は大きな転換期を迎えています。本記事では、対談を通じて私が感じたこと、特にAI時代における日本のEMの在り方について考察をお伝えします。
※ 対談の内容については、「Camiile Fournierさんと考える。AI時代のEMキャリアはどう変わるのか」をご覧ください。
生成AIがアタリマエになった開発組織の未来
対談で最も印象的だったのは、エンジニアリングマネジメントの大家であっても、生成AIがソフトウェア・エンジニアリングの領域にもたらす影響について明確なことは分からないという現実でした。これは、インターネットの登場と同等以上の衝撃的な変化でありながら、その浸透スピードが数倍から数十倍ほど速いという状況も影響しているでしょう。
先が全く見えない状況ながら、対談の内容や世界の動向に鑑みると、エンジニアリングマネジメントの今後を示唆する重要なキーワードが浮かび上がってきています。その中で最も印象的なのは、開発プロセスのボトルネックが人間の認知に移りつつあることです。設計・コーディング・テストといった開発プロセスの中間部分において、AIが数分で大量のアウトプットを生成できるようになった今、人間には「何を作るべきかの意思決定」と「AIが生成したアウトプットが正しいかのレビュー」が求められ続けます。つまり、人間の認知負荷の限界が開発スピードを決定する時代になったのです。
この新たな課題に対応するため、EMには2つの変化が求められると考えています。
1つ目は認知負荷をできるだけ小さくする開発組織をつくることです。当社Ubie代表の久保が発表した「ブリッツスケーリング世代のスタートアップがレガシーにならないために」という記事でも触れられているように、AI時代では人が増えるほどプロダクトチームのオーバーヘッドが増加するため、意思決定が可能な最小単位のチームをつくることが開発チームの新たな潮流となるでしょう。「ピザ2枚のスクラムチームでは大きすぎる」と言われる日も、そう遠くないかもしれません。
2つ目は、エンジニア一人ひとりがビジネスやユーザーへの理解を深め、エピックの単位でオーナーシップを持てるようにすることです。ビジネスサイドやプロダクトマネージャーから依頼されたものをつくる受動的なスタイルから、ビジネスの現場やユーザーのニーズを分析し、適切な課題にブレイクダウンしてAIエージェントを使いこなす、能動的なスタイルへの転換が求められます。エンジニアが目指すべき方向性については、以前私が発表した「生成AI時代において、Ubieのエンジニアはどう変わっていくか?」という記事でも詳しく説明していますので、あわせてご覧ください。
AIが代替できない信頼関係の価値
対談の中でもう1つ自分が興味深かったことは、生成AI時代の人事評価がどうなっていくかという点です。評価はEMにとって膨大な手間と時間がかかる一方で、全員が納得する評価を行うことは難しく、なんとか効率的に行えないかと試行錯誤をする人も多いでしょう。生成AIの登場で、評価そのものをAIに任せられる夢を見ている人もいるかもしれません。
しかし、対談を通じて改めて実感したのは、評価は関係性や信頼があってこそ納得感を持って伝わるということです。これはAIに限った話ではなく、自分と全く関わりのない人間から急に評価されても、納得感を持ちにくいことを想像すれば分かりやすいでしょう。
人間は、業務を通したやり取りだけではなく、日常的な雑談や非言語的なコミュニケーションから得られる情報、プライベートの会話や自己開示などを通じて相手の思考や価値観を理解し、徐々に信頼関係を構築していきます。この積み重ねがフィードバックを受け入れる心理的土台をつくり、その上で適切な評価がなされることで納得感と行動の変容につながります。AIによる評価はファクトに基づく公正なものかもしれませんが、相手との関係性や相手の状態に基づく柔軟な評価を行うための十分なコンテキストを考慮できません。
AIが評価に必要なあらゆる情報収集を担当することで、評価業務の効率は大きく向上するでしょう。ただし、最終的に相手との信頼関係や状態を考慮しながら、その評価を責任を持って伝える役割はEMに残ります。メンバーの価値観を理解し、その成長を真剣に考えて当人に向き合う姿勢や行動が、EMにはますます重要となっていくでしょう。
AI時代のエンジニア採用戦略
生成AIの普及により、実際にBig Techではエンジニアを中心とした大規模な人員削減が始まっています。日本では正社員の解雇が困難なこともあり、今後はエンジニアの採用人数を従来通り増やし続けることに慎重になる企業も増えているでしょう。このような背景から、ジュニアエンジニアの採用は確実に厳しくなると思っていましたが、対談でジュニアエンジニアを意図的に採用し続ける企業の例を聞けたことは、私にとって大きな発見でした。
生成AIを活用できるシニアエンジニアだけでチームを構成することは、一見すると効率的に思えます。しかし、生成AIのない時代の開発経験が長い私たちと、生成AIネイティブのエンジニアでは、根本的に考え方が異なる可能性があり、そうした新しい視点が組織にもたらす変化を軽視すべきではないという話でした。
振り返ってみると、これはUbieがDEIポリシーとして掲げる「多様な視点による盲点の解消」という考え方と本質的に一致しています。既存の考え方で生成AIを活用しようとするエンジニアだけを集めても、それ自体がいずれ盲点となり、生成AI時代の不確実性に対処できなくなるリスクがあるのです。
1チームあたりの必要人数が減り、エンジニアに求められるスキルが確実に変わっていく中で、採用戦略や採用基準の見直しは必要です。ただし、シニアエンジニアだけを採用することが最善策とは限らないということを、EMは意識しておく必要があります。
EMに求められるのは、正解が分からない中でもチームの方向性を示す覚悟
生成AIに関する情報は毎日のようにアップデートされ、昨日の最適解が今日には陳腐化してしまう時代です。このような時代に、EMはどのような姿勢を持てばよいのでしょうか。
組織論でよく語られる興味深い話があります。ある登山隊が山で遭難し、吹雪に巻き込まれて全ての装備を失った絶望的な状況の中、ひとりの隊員がポケットから1枚の地図を取り出しました。その地図を見ているうちにメンバーに勇気が湧いてきて、その地図を頼りに命からがら下山することができたのです。しかし後になって分かったのは、その地図は全く違う山域の地図だった、という話です。
正解のない途方に暮れた状況において、たとえそれが正しくなかったとしても、明確な方向性を示しチームが一丸となって結束すれば、正解にたどり着く確率が格段に上がる、むしろ正解をつくり出すことができるという教訓です。まさに、生成AI時代の不確実性に向き合う1つの道筋ではないでしょうか。
AI時代のEMに求められるのは、まさにこの「間違っているかもしれないが、明確な方向性を示す覚悟」です。そして、間違いに気づいたら素早く軌道修正する柔軟性も欠かせません。完璧な計画ができるまで動けないチームではなく、方針を示して前に進み、変化にも素早く適応できるチームをつくることが求められているのです。
おわりに
生成AIがもたらす不透明な時代において、EMに求められるリーダーシップの本質は何でしょうか。
メンバーと信頼関係を築きながらも変化を恐れず受け入れ、その中で人間の価値が残る領域を見定めてチーム全体を導いていく——。今回の対談を通して、そんな「しなやかでありつつ芯の通った」リーダーシップの重要性を実感しました。
この記事が、EMの皆さんにとって開発組織をどのように導いていくか、何らかのヒントになれば幸いです。