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花王が挑む、600サイト・1200名を巻き込んだ全社ウェブアクセシビリティプロジェクトの全貌【後編】

企業がウェブアクセシビリティの向上に取り組む際、まずは少人数で小さな改善から始めていく方法を選択するケースがほとんどです。しかし、2022年のGAAD(※1)で、ある企業の革新的な取り組みが大きな話題になりました。

その企業とは、大手消費財化学メーカーとして知られる花王株式会社。花王が発表したのは、全社を挙げたウェブアクセシビリティ推進プロジェクトの発足と取り組み内容についてでした。

ウェブアクセシビリティの啓蒙に取り組むFindyでは、花王でウェブアクセシビリティの推進に携わる後藤 亮さんと渡邊 佳菜恵さんにお話を伺うべく、ウェブアクセシビリティの専門家として活動されている株式会社ディーゼロのゆうてん(@cloud10designs)さんをインタビュアーに迎えて対談を実施。本記事では、対談の内容を前・後編に分けてたっぷりお届けします。

社員数が3万人を超える大企業である花王が、どのように全社でウェブアクセシビリティに取り組む意思決定をしたのか、そこにはどのような苦労や困難があったのか。お話の内容から、大企業がウェブアクセシビリティ推進を成功させるヒントがみえてきました。

本記事は後編になります。
花王さんでのアクセシビリティの最初の一歩について語っていただいた前編はこちら。

※1:Global Accessibility Awareness Dayのこと。世界中でデジタル分野(Web、ソフトウェア、モバイルなど)のアクセシビリティを考える一日として、2012年にスタートした活動。

■プロフィール
後藤 亮(ごとう たかし)
花王株式会社 事業DX推進センター マーケティングプラットフォーム部 部長

1990年花王株式会社入社。店舗開発や商圏分析、来店客調査などを経験し、販売組織におけるマーケティング部門でブランド担当や組織横断のプロジェクトを担当。クリエイティブ部門ではBPRやデジタル・アセット・マネジメント(DAM)の導入を行い、現在、事業DX推進センター マーケティングプラットフォーム部の部長を務めている。

渡邊 佳菜恵(わたなべ かなえ)
花王株式会社 事業DX推進センター マーケティングプラットフォーム部 プラットフォーム開発室

2020年に花王株式会社入社。ウェブアクセシビリティ推進担当。前職では事業会社でウェブマーケティング、ウェブ制作ディレクションに従事。

平尾 優典(ゆうてん)さん/@cloud10designs
株式会社ディーゼロ / サステナグロースチーム ウェブアクセシビリティ専門家・フロントエンドテックリード
株式会社Kaizen Platform/アクセシビリティスペシャリスト

アクセシビリティをベースに情報設計・広義のデザインから、実装、テスト、運用までのアドバイスやレビューを中心としたコンサルティングを行っている。また、社内では品質の管理やガイドラインの整備など「仕組み」による改善に取り組んでいる。HTMLリンター「markuplint」の開発者。HTMLのプロ。

発注の仕方そのものを変えていこうという強い意志

ゆうてん 花王では社外の制作会社に向けても説明会・勉強会を行っていると聞きました。600以上のサイトがあれば、発注先の制作会社も1社や2社ではありませんよね。社外の制作会社とは、どのようなやり取りがあったのでしょうか。

渡邊 社外に対しては、説明会を開催し、花王として「国際的なガイドラインを目標にアクセシビリティの向上を目指していきますのでご協力お願いします」と話をしました。ただ、実際に花王の仕事を受けてくださる制作会社さまの中には対応が難しいケースもあるのではないか、と感じていました。

そこで、制作現場を補助するツールのひとつとして、「アクセシビリティ対応チェックシート」を作ったのです。他にもFAQサイトやアクセシビリティの専門家に相談できるサポート窓口を設置しています。

意外だったのは、花王からアクセシビリティの話を発信したことによって、以前よりやりやすくなったという声がいくつかの制作会社さまから寄せられたことです。今まで「文字の画像よりテキストにしたほうがSEOにもいいですよ」と提案をしても、発注した花王の社員から「いや、絶対に画像にしてほしい」と言われてしまい、制作会社さまとしてはどうしようもできなかったからです。

ゆうてん ウェブアクセシビリティに準拠しようとすると、デザインも実装もシンプルになる傾向があります。文字の画像を作らなくてもいいので、実装者からすると作りやすくコーディングもしやすいです。その点が制作会社に受け入れられたのかもしれません。 その反面、今まで画像1枚で作っていたLPなどはコーディングでの大変さは出てきてしまいますね。

渡邊 花王の場合、製品のパッケージや店頭で使っているPOPをベースにしたデザインをそのままWebで使用するケースが多くあります。Webサイトだけデザインを変えるのは、どうしても難しい場合があります。また、急にキャンペーン企画が決まり、短期間でページを立ち上げる必要があるケースでは、画像をひとつ貼ってしまったほうが早いという考えも根強いです。花王から制作会社さまへのオーダーの仕方を根本的に解決するには、社内の教育が何よりも重要だと感じました。

ゆうてん 難しいですね。実際に店頭に並んでいる製品のパッケージとWebサイトのデザインが乖離していたら、それはそれで混乱してしまう消費者もいると思います。ウェブアクセシビリティにはそういった課題がつきものです。具体的にはどのように解決をしているのですか?

渡邊 我々はWebの基盤を管掌している部門なので、パッケージデザインなどの前工程からアクセシビリティを意識してほしいと言及するのは難しいです。しかし、ときおりクリエイティブ部門から「パッケージや元のクリエイティブから気を付ける必要がありますね」といったコメントをいただきます。ウェブアクセシビリティを推進していくことで、その考え方が他の分野にも広がっていけばいいなと思っています。

過去の苦い経験があったからこそ今がある

ゆうてん 後藤さんはこういった課題をどのように乗り越えてきましたか?

後藤 2015年に、CMSを入れ替えるプロジェクトがあったのですが、当時はマルチデバイス対応、マルチスクリーン対応が課題でした。画像文字は切れてしまったり間延びしてしまったりでマルチデバイス対応ができない。しかし花王の発注者が画像でオーダーするため、制作会社さまもパソコン用、スマートフォン用、タブレット用に別々にコーディングしているような状況でした。

そこで我々からは制作会社さまに「コーディングはもうしないで結構です。CMSのコンポーネントを組み合わせて作り上げてください」とお願いしていました。しかし花王の発注スタイルは変わらなかったので、発注者の要望を実現するためにも「このCMSを使わずに、今まで通り作りましょう」と提案する制作会社の方々も一部いたのです。

そういった問題が今までの経験上にあったので、社内への啓発はもちろんですが、同時に制作会社の方々にもアクセシビリティについて理解してもらい、ときには「そのデザインはアクセシビリティに配慮できていないからやめましょう」と逆に言ってくれる状況がベストだと考えていました。

大切なのは、発注者と制作会社の双方がやりたいことの押し付け合いにならないようにすることです。社内にも社外にも継続的に啓蒙活動をし続けない限り、アクセシビリティを実現することはできないでしょう

また、制作会社さまにもアクセシビリティの考え方が浸透することで、花王の仕事だけでなく他のクライアントさまの仕事をされる際にもアクセシビリティを念頭に置きながらWeb制作をされるようになると期待しています。そうすれば最終的には社会全体が良くなっていくはずです。

ゆうてん 発注元の企業が制作会社を育てることで、業界全体でアクセシビリティの理解が深まり社会貢献につながっていくのですね。啓発活動をしている身としても花王さんの活動は嬉しいし、勇気をもらえます。

後藤 発注者と制作会社のどちらかが一方的に進めるのではなく、同じ志を持った人が集まって議論して、方向性を決めていけたらいいですよね。

アクセシビリティ対応の予算を別で計上するのはNG

ゆうてん アクセシビリティを推進していくうえで、必ずコストが発生しますよね。いわゆる費用対効果について、シミュレーションや計算はされたのでしょうか?

渡邊 費用対効果は試算が非常に難しいです。ただし、今あるサイトを改善していくのにコストがかかるのは事実です。花王では、ウェブアクセシビリティの確保にかかる費用については次回の予算組みのタイミングで計上してもらうようにサイトオーナー部署にお願いしています。

たとえば、新製品の発売に合わせてサイトのリニューアルを行う予定がある場合、そのリニューアル要件のひとつにアクセシビリティの確保・向上を含める、といった進め方です。

後藤 お金を無駄に使わずにウェブアクセシビリティの確保を確実に進めてもらうためには、そのアプローチが一番いいだろうと考えました。

また、アクセシビリティ確保の予算だけを分離してしまうと、通常のサイト制作とは異なる特別対応だと受け取られてしまうおそれがあり、今後も継続的に取り組むのが困難になってしまいます。

そのため、通常のWebサイト制作の予算から分離せず、次のサイトのリニューアルのときに費用を組み込んでもらう形でお願いしています。社会のためにも、ブランドのためにも、会社のためにも、お客さまのためにもそこが落としどころだったのです。

ゆうてん なるほど。過去の経験を生かして、次の更新のタイミングで予算に組み込むことで納得してもらったのですね。

大手企業のアクセシビリティ推進で大切なこと

ゆうてん 企業、制作会社、開発者に向けて、アクセシビリティを始める際に最初に取り組むべきこと、意識すべきことがあったら教えてください。

後藤 自分たちだけで社内にアプローチしたとしても、反発の声が出てくることはあるでしょう。関係者を説得し、理解・納得してもらうためには、さまざまな部門を巻き込んで推進する体制をつくることがポイントです。

花王では、コーポレート部門や事業部門だけではなくESG、人事、コールセンター、広報などさまざまな部門を巻き込んできましたが、会社を横断して色々な部門がプロジェクトに参加している様子を見せるのは効果的です。他社でも参考になるのではないでしょうか。

大切なのは、関係者がネガティブな「巻き込まれた感」を抱かないようにしておくことです。もらい事故のような体制では、プロジェクトは進まなかったでしょう。

ゆうてん 関係者が巻き込まれたと感じずに一緒に進められているのは、納得感を得られる伝え方をされてきたからですね。

渡邊 アクセシビリティは一度説明しただけではなかなか伝わりきらないので、本当に地道に、繰り返し伝えるのが必要になってきます。

我々も全社横断の推進体制が発足する1年前から、協力してほしい部門にアプローチをしていました。現場担当者に理解してもらえたら、今度はその部門の上司に話を通してもらう、という活動を繰り返し行っていた結果、体制ができあがったのです。

話し合いや議論の場をなしにして、周りを巻き込んで進めていくことは困難でしょう。

後藤 社内での推進にお悩みを抱えている企業や担当者がいたら、この場のメンバーで説得しに行くのもいいですね(笑)

渡邊 発注者、制作会社などの立場に関係なく、アクセシビリティに取り組んでいる人同士で仲間になれたらいいですね!

目指すのはアクセシビリティが当たり前の社会

ゆうてん 最後に、今後の目標についてはどのように考えていらっしゃいますか?

後藤 たとえば「コンプライアンス」「サスティナビリティ」「SDGs」といった言葉はかなり普及していて、一般的にも使われています。同様に「アクセシビリティ」も認知が広がっていくと嬉しいです。

アクセシビリティを社会にどうやって浸透させるのかを考えなければならない一方で、企業や制作会社としてアクセシビリティに取り組むことも必要です。そのふたつを両輪で進めていくことで、認知が広がっていくのではないかと考えています。

花王としては一過性の活動ではなく、常にアクセシビリティに配慮できている形で事業を継続することが目標です。我々が見本となって事例を発信することで、他の企業でもそれが当たり前になっていけばいいな、と。

活動を維持・継続していくために、教育・啓蒙をいかに地道に継続し浸透させていくか。そしてゆくゆくは、教育・啓蒙活動をしなくてもすべての人が常に理解している状態が一番です。目標達成のKPIとしてはそのように思っています。

ゆうてん ウェブアクセシビリティに限らずアクセシビリティという大きい枠でできることはまだたくさんありますよね。とてもワクワクします!渡邊さんは今後、製品のアクセシビリティも含めて全体的に統括されていく予定なのでしょうか?

渡邊 私自身は前職からWebサイト制作に携わっていたので、今後もデジタル周りのアクセシビリティを中心に取り組みたいと思います。ただ、今は様々なIT技術がありますので、事業DX推進センターの一員としては、それらを活用しながらリアルの製品のアクセシビリティの向上にも携わっていきたいと考えています。

ゆうてん 期待しています!花王がアクセシビリティを推進している企業として社会をリードしていくのは本当に重要なことです。今後いろいろ協力し合えるところがあれば、ぜひ啓発活動などで携わらせてください!

執筆・編集:河原崎 亜矢