東京都江東区東陽1丁目。閑静な住宅街の中に、駄菓子屋「かるちべ堂」はあります。子どもたちの笑い声が飛び交い、やがて小さな「興味の芽」が育っていく場所。その店主は、プロダクトマネージャーであり、エンジニアであり、経営者でもある永嶋広樹さんです。
駄菓子屋とプロダクト開発。一見すると無関係に思えるこの2つを、永嶋さんは「地続きの仕事」だと語ります。「自らの仕事を限定しない」という選択により、どのようなキャリアが形成されたのでしょうか。永嶋さんの歩みについてお話を伺いました。
プロダクトと“場”が育む、子どもたちの知的好奇心
――永嶋さんは多種多様な仕事に挑戦されており、一風変わったご経歴ですよね。これまで、どのような働き方をしてきたのですか?
ファーストキャリアは、受託会社のJavaエンジニアからスタートしました。2005年頃からIT業界にいるので、もう20年ほどになります。ざっくり分けると、前半10年はエンジニア、後半10年はプロダクトマネージャーの仕事をメインにしてきました。その間、個人開発やECサイトの運用、Webメディアの編集、営業、カスタマーサクセスなど、さまざまな領域に並行して取り組んできました。
現在は、主に2つの事業に関わっています。一つは、株式会社チッピーというスタートアップで、プロダクトマネージャーとして「人と人を応援や感謝のやさしい気持ちでつなぐ」プロダクトを開発しています。もう一つは、自身で立ち上げた株式会社 cultivateです。子どもの興味を広げるクイズアプリ「ホルーペ」を開発しています。そして、cultivateの事業として、「かるちべ堂」という駄菓子屋の運営も行っています。
ときどき、プロダクトマネージャーを辞めて駄菓子屋をやっていると勘違いされるんですけれど、プロダクトマネージャーをやりながら駄菓子屋をやっています。

――プロダクト開発と駄菓子屋。一見すると脈絡のなさそうな組み合わせですが。
よく言われます(笑)。でも、私はこれらの要素は密接につながっていると考えています。まず、株式会社 cultivateの紹介を簡単に。cultivateは「次世代を担う子どもたちのための事業をやろう」という目的で立ち上げました。cultivateは「耕す」という意味の英単語ですが、これは子どもたちの「興味の土壌を耕す」というイメージです。
世の中にはたくさんの教育コンテンツがありますよね。一つひとつは、とても素晴らしいものばかりだと思っています。しかし、子どもたちの頭がまだ硬い土のような状態のうちは、そこにどれだけ種や水、肥料を与えても芽が出にくい。だからこそ、その土を柔らかくするところから始めたいと考えました。「ホルーペ」は、子どもたちが発した言葉をもとにクイズが出題され、解いていく中でさらに興味が広がっていくようなプロダクトです。

ただ、「ホルーペ」がすごくうまくいったかというと、決してそうではありません。子どもたちに教育的なアプリを届けるのは、本当に難しいですからね。いろいろ考えた結果「子どもたちに直接届けること」がマストだという結論になり、もともと構想にあった「ホルーペ」のリアル版といいますか、「子どもたちの興味を広げられる場」を作ることにしました。
どんな種類の店をやるかと考えたとき、選択肢は駄菓子屋一択でした。駄菓子を嫌いな人って、ほとんどいないですよね。子どもはみんな駄菓子が好きですし、友だちと一緒に自然と集まれる空間になります。親御さんも「駄菓子屋なら行っておいで」と比較的安心して送り出せます。
もう一つ特徴的なのが、駄菓子屋ってすごく魅力的なのに、どんどん数が減っているんですよ。1970年代には日本全国で約13万店舗あったと言われていますが、今では約1万3000店舗ほど。駄菓子は薄利のため、継続的に利益を出すのが難しいのが理由として大きいと考えています。
でも、プロダクトマネージャー視点では、むしろ面白い業態だと感じました。強いニーズがある一方で、ビジネスとしては成立しづらいという状況は、うまくやれれば成功の余地があるとも言えます。工夫次第で、もしかしたら持続可能な駄菓子屋を作れるかもしれない。「これは面白そうだな」と感じました。
アジャイル開発のように駄菓子屋を運営する
――実店舗を経営したからこそ、体験できたことはありますか?
デジタルのものづくりをしていると、ユーザーが自然にアプリを操作している様子を、目の前で見ることができる機会はあまり多くありません。でも、「かるちべ堂」という場があることで、「ホルーペ」を子どもたちに遊んでもらい、目の前で反応を観察できるんです。感想をもらった後、すぐにアプリの機能を修正したり、新しい問題を作ったりできます。プロダクト開発に携わる人間としては、最高の環境なんじゃないかと思います。
――店舗経営は、想定外のこともたくさんあったのでは?
そうですね。お店の経営は初めてだったので、すべての出来事が新鮮で、想定外の連続でした。まず、どうやって駄菓子を仕入れたらよいのかがわかりませんでした。最初はネットで調べて問屋に行き、担当の方に何を仕入れるべきか教えてもらいながら始めました。
続けるうちに、「この問屋はこの領域に強いけれど、ここは弱い」「別の問屋はこの点が便利だ」といった違いが見えてきました。PDCAを回し続けて、いくつかの問屋を使い分けるようになったんです。駄菓子屋の経営では、仕入れや販売、値付け、ブランディング、集客など、商売のあらゆる要素をひととおり自分で考えることができます。小さく商売を始めたい方には、おすすめのビジネスです。
――余談ですが、どんな駄菓子の人気が高いですか?
やっぱり、「うまい棒」は強いです。不動の人気なんですよ。常に売上のトップ5には入っていますね。あと、最近は「ヤッター!めん」の人気も高いです。当たりがついているお菓子なんですが、ゲーム要素があると子どもたちは燃えるんでしょうね。
こうした人気の傾向を見ながら、仕入れの内容も少しずつ調整しています。データというほどではないですが、子どもたちの反応を見て変えていくのは、まさにプロダクト開発と似ている部分です。
――定番のお菓子は変わらないんですね(笑)。駄菓子屋経営において、ソフトウェア開発の知見が活きている部分はありますか?
スタートアップのプロダクト開発では、まずMVP(Minimum Viable Product:顧客に価値を提供できる、必要最低限の機能を備えた製品)を作りますよね。「かるちべ堂」は、まさにそれだったなと思っています。
店を始めた当初は、「ホルーペ」で遊んでもらうためのテレビを設置し、他には床と駄菓子があるだけ。靴箱も、ベンチも、本棚もありませんでした。知り合いからは「もっと準備を整えてから始めたほうがいいんじゃない?」とも言われましたが、「最小限のスタートでいい。必要なものは後で足せばいいんだ」と答えていました。

「有言実行」のスタンスが共感を生んだ
――エンジニアやプロダクトマネージャーの多くは、基本的にソフトウェア開発の仕事“だけ”をしていますよね。そうではない仕事を経験する価値について、どうお考えですか?
多くの方は「モバイルアプリの開発をします」「SaaSのプロダクトを作ります」といった形で、最初から自分の仕事を限定しています。でも、それはもったいないと感じていて、あまり自分で可能性を狭めないほうがいいと私は思っています。
私がこの業界で20年過ごしてきた中で、仕事の内容も求められるスキルも常に変化してきました。昨今はAIの台頭もありますし、ソフトウェアエンジニアやプロダクトマネージャーという役割が、将来どの程度必要とされるかも分かりません。もちろん、完全に不要になるとは思いませんが、求められるスキルセットや動き方は大きく変わっていくはずです。
だからこそ、幅広い分野に触れていた方が変化に適応しやすいです。ひとつに絞るほうが、リスクが高いと感じています。
――駄菓子屋を経営してみて、ご自身のキャリア感や人生観に変化はありましたか?
変わったというより、むしろ「答え合わせ」だった感覚に近いですね。私は2023年の pmconf(プロダクトマネージャーカンファレンス)の登壇で「スラッシュワークをしましょう」という話をしました。これは、一人の人間が複数の肩書きや職業を並行して持つ働き方のことです。このような働き方をすることで、たくさんの学びが得られ、自分のキャリアにもプラスになると説明しました。
駄菓子屋の経営は、そんなスラッシュワークの延長線上にありました。実際に携わってみて、すごく勉強になりましたし、何よりめちゃくちゃ面白かったです。自分にはこういうスタイルが合っているんだなと、改めて実感しました。
もう一つ気づきがあったのは、「不言実行から有言実行へ」という自分のスタイルの変化です。以前は何かに挑戦する際、事前に「やる」とは言わず、ある程度成果が出てから発表するというスタイルでした。不言実行の圧倒的メリットは「失敗しないこと」です。成功率はある意味100%です。
でも今回の「かるちべ堂」では、事前に「やります」と周囲に宣言しました。すると、仲間が集まってくるんですよ。「その考え方いいですね」とか「知り合いを紹介します」といった声が自然と集まり、どんどん輪が広がっていきました。結果的に、自分の考えもアップデートされ、新たなヒントをもらえる。動き続けられる流れが生まれたんですよね。
不言実行だと、途中でモチベーションが下がったときに「やっぱりやめようかな」と思って逃げることができます。でも、有言実行だと周囲の人たちを巻き込んでいるので、簡単にはやめられない。だからこそチャレンジの数が増えて、結果的に成功に近づく回数も増えるのかもしれません。

「駄菓子屋」を超えて「かるちべ堂」へ
――今後のキャリアにおいて、実現したいことはありますか?
私は「駄菓子屋のおやじ」「プロダクトマネージャー」「経営者」など、複数の肩書きを持っていますが、それらを無理に分けて考えなくてもいいのかなと思っています。今回のインタビューでお話ししたように、すべての活動はつながっています。今後も、事業やユーザーのためになるのであれば、必要に応じてなんでもやっていけばいいのかなと。
駄菓子屋に関して言うと、昨年の8月にオープンして、もうすぐ1年になります。まずは「町に駄菓子屋ができた」という状態までは実現できたと考えています。地域の人たちにも受け入れてもらえましたし、子どもたちも毎日のように遊びに来てくれて、学校などにも認知されてきました。1年目としては及第点でしょうか。ただ、もともと目指していた「cultivateする駄菓子屋」には、まだなっていないと思います。
2年目は、本当の意味で、来てくれる子どもたちの「興味を広げられる場」にしていきたいと考えています。そのサイクルがきちんと回り始めれば、当初掲げていたビジョンが実現できたと言えるでしょうし、この活動に共感してくれる人も、さらに増えていくはずです。
とはいえ、想いだけが先走って暴走してはいけないとも考えています。ここに来る子どもたちにとって、「かるちべ堂」は「駄菓子を食べながら友だちと遊ぶ場所」なんですよね。ここに、不必要な大人のエゴを押し付けてしまったら、子どもたちはつまらなくなって離れてしまいます。だからこそ、日々の反応を見ながら、少しずつ良くしていくやり方を続けていこうと考えています。結局、プロダクト作りでもお店作りでも、一番大切にしているのは人と人との「つながり」なんです。
取材・執筆:中薗昴
撮影:山辺恵美子