劣等感の塊だったエンジニアがPayPay部長になるまで。悔しさを乗り越えて気づいた“仲間と働く意義”

「チームで働くのが苦手」「誰かと一緒に何かを成し遂げるのが、どうしても性に合わない」——そう感じているエンジニアは、決して少なくありません。PayPay株式会社 System Platform部 部長の齋藤祐一郎さんも、かつてはそんなエンジニアの一人でした。

高卒・契約社員という立場からキャリアをスタートし、劣等感を原動力に誰よりもコードを書き、結果を出してきた齋藤さん。反骨精神から、仲間に対して棘のある態度を取ることもあったといいます。ですが、人は正論だけでは動かないこと、大きな成果を出すには組織を巻き込む力が必要であることを、彼は徐々に学んでいきました。

そんな齋藤さんに、これまでのキャリアを振り返っていただきました。チームワークに苦手意識を感じている人にこそ読んでほしい、「仲間と働く意義」にたどり着くまでの軌跡です。

「ブリリアントジャーク」だった若手時代

――齋藤さんはかつて、劣等感を抱きながら働いていたと伺っています。キャリアの最初期のエピソードを、まずは聞かせていただけますか?

最初に勤めたのは、大手電機メーカーの開発子会社でした。当時は就職氷河期で、仕事に就けただけでも十分ラッキーでした。しかし、その頃の自分はそう思えなかったんです。

なぜかというと、まず大学受験で一浪した末に失敗し、進学を諦めて高卒で就職したからです。入社後、周囲は旧帝大出身者ばかり。私が初日に渡されたのはシステムの仕様書だったのに対し、大卒の方々はまず挨拶の練習からスタートしていました。「これが高卒と大卒の違いなのか」と、ショックを受けましたね。

さらに、私は正社員ではなく契約社員で、「3カ月以内に結果を出せなければ契約延長はない」と言われていました。とにかく悔しくて、負けたくない一心でした。もともと趣味でプログラムを書いていたこともあり、ひたすらコードを書いて必死に食らいつきました。毎日深夜まで仕事をし、リリース前には泊まり込み。今では許されないような働き方ですね。でも、その甲斐もあって、なんとか勤め続けることができました。

しかし、契約社員から正社員への登用を打診した際、「高卒と大卒では給与テーブルが異なる」と告げられたんです。「正社員になると、今より給与が下がります」とまで言われ、非常にショックを受けました。ここではもう働き続けられないと思い、退職しました。

――過酷なスタートだったのですね……。

次に選んだのは、Webサービスを提供するスタートアップ企業です。「新しい環境で、一山当ててやる」と思い、飛び込みました。この会社でも寝ずに働く日々が続きました。事業は順調に成長し、収入も上がりましたが、劣等感はまったく消えませんでした。周りはみな大卒で、しかも年上の先輩ばかり。自分はとにかくコードを書きまくり、先輩たちよりも良い成果を出そうと必死でしたね。仕事で実力を見せつけてやろうという気持ちもありました。

――あえて言葉を選ばずにお聞きしますが、いわゆる「ブリリアントジャーク*」的な振る舞いだったと思いますか?

*…仕事の能力は非常に高いものの、チームメンバーへの配慮や協調性に欠け、周囲に悪影響を与える人のこと。

間違いなく、そうだったと思います。先輩からも「お前はやりにくい後輩だ」と、はっきり言われましたから。口は悪いけれど結果は出す。ある意味、わかりやすい人間だったと思います。ただ、自分の働き方には問題があると、強く感じる出来事もありました。

働きすぎて体が動かなくなり、2週間ほど寝込んでしまったんです。復帰後、会社に戻ったとき、普通ならねぎらいの言葉の一つもありそうなものですが、同僚から言われたのは「齋藤さんなんか、いなくたって仕事は回るよ」という一言でした。「自分は仲間として見られていなかったんだな」と痛感しました。結果を出すだけではダメで、仲間を大切にしなければ、本当の意味で組織の一員にはなれない。あれはショックでしたね。

その後も、1年ほどその会社で働きました。自分が入社した当初はエンジニアが3人しかいなかった会社が、気づけば何十人という規模になっていて。「そろそろ次のチャレンジに進みたい」と思い、転職を決めました。

コミュニティが「自分の相対的な立ち位置」を教えてくれた

――次の会社ではどのような仕事を?

自社サービス開発と受託開発、両方を行う会社に就職しました。自社サービスのプロダクトマネージャーを任され、開発組織をまとめてプロダクトをグロースさせていくことになったんです。会社のエンジニアの7割がこのプロジェクトにアサインされていたため、経営陣からの期待は非常に大きかったと思います。ですが、結果的にグロースはうまくいきませんでした。

理由はさまざまありますが、私自身の反省点としては、「発破をかければチームはついてくる」と思い込んでいたことです。前職のスタートアップでは、実際にそれでうまくいっていたため、当時は疑いもありませんでした。でも、その会社は文化が異なり、私のやり方が合わなかったんです。

次第に、チームメンバーの気持ちが離れていくのを感じました。あるとき、メンバーの一人から「あなたの言っていることは正しい。でも、あなたにはついていけない」と言われたんです。とどめとなったのは、投資家から「会社の生き死に関わるから、この事業は見直しなさい」と指示されたことでした。

その後の経営合宿で、私はプロジェクトから外されました。あのとき飲んだお酒の味は、まったく覚えていません。それほど堪える経験でした。この出来事を通じて学んだのは、「自分の思う正しさ」を押しつけるだけではダメだということ。チーム全員の声を聞き、共感を得ながら進めないと、目的地にはたどり着けないということでした。

――胸が苦しくなります。

その後は、ソーシャルゲームを手がけるスタートアップ企業に転職しました。サーバーサイドエンジニアとして入社しましたが、もう一つの役割として、会社の変革にも携わることになりました。経営陣からタスクフォースのような形で任命され、私を含む数人で取り組んでいました。

ただ当時の私は、組織文化を構築するスキルが乏しく、メンバーに何かを伝える際も論理的な裏付けが不足していたと思います。ある方から「それって会社の意見ですか? それとも齋藤さんの個人的な意見ですか?」と問われたのは忘れられないです。

――組織を変えるのは、一筋縄ではいきませんね。

ただ、一つだけ救いがありました。ちょうどその頃、「ハチイチ忘年会」というコミュニティに参加し始めたんです。これは、現在HonoというOSSを開発している和田裕介さんたちが「1981年生まれで集まろう」と呼びかけて開催していた会です。社外で多くの仲間と出会えたことで、エンジニアコミュニティにおける自分の立ち位置を知ることができました。

読者の皆さんにも、ぜひエンジニアコミュニティに飛び込んでほしいです。もし話しかけるのが苦手であれば、誰かの話を聞いているだけでも構いません。そのうち自然と誰かが話を振ってくれます。他の人たちと交流する中で、「自分は孤独じゃない」と感じてほしいです。ただし、そのコミュニティが単なる仲良しグループになってはいけません。自分に対して、優しさだけではなく厳しさを持って接してくれる人と付き合ったほうがいい。そういう仲間は、一生の宝物になります。

「ハチイチ忘年会」で出会った仲間たち。『Webアプリエンジニア養成読本』出版記念イベントでの一枚(写真提供:齋藤さん)

学歴コンプレックスとの決別、そして人としての成長へ

――このあたりの時期から、齋藤さんは働きながら大学院へ通われていたと伺っています。

コンピュータサイエンスと経営をより深く学びたいと考え、筑波大学の大学院に合格して通っていました。大学院での経験を通じて、ようやく「自分が学歴に抱いていた劣等感は、実体のないものだった」と気づきました。

私が所属していたのは社会人向けの研究科で、みんなが自然体で自分を高めようと努力していたんです。誰も劣等感など持っていませんでした。それに、ある教授とお酒を飲んでいるときに私が「高卒なんです」と話したところ、「ここに来たんだから、その話はもう終わり。ここで結果を出せば、あなたは大学院修了者ですよ」と言ってくれました。

また、私の学位論文は「コミュニケーションスキルを重視したソフトウェア技術者教育の試行」という内容でした。研究や教授の指導を通じて、自分自身がこれまで取ってきた行動を論理的に振り返ることができました。結局のところ、反骨精神を振りかざして仕事をしても、湧き上がるのはダークサイドのエネルギーだけ。周囲の人々や世の中のためにエネルギーを使わなければ、闇に飲まれてしまう。それを大学院で学びました。

大学院修了の際の写真。一緒に写っているのは指導教授(写真提供:齋藤さん)

また、この時期には、5社目としてITインフラ運用の受託会社で働いていましたが、大きな失敗も経験しました。確認不足のまま他の人に相談せず作業を進めてしまい、お客さまにご迷惑をおかけしてしまったんです。

それでも、当時の上司は私をクビにも減給にもしませんでした。「今後は、お天道様に向き合える仕事をしてください」と、私に改善を促してくれたんです。それに、チームメンバーたちもみな優しく協力的でした。この会社に入ってから、少しずつ「人の話を聞く」「相手の事情を汲み取る」ことができるようになりました。同時に、「自分の思いを丁寧に伝えること」も少しずつ実践するようになりました。

――世の中には、他のメンバーと対話することが苦手なエンジニアもいます。そうした方に伝えたいことはありますか?

組織の中で仕事をしている限り、必ず自分と他の人の意見が合わない場面が出てきます。そんなとき、「この人はなぜこういうことを言っているんだろう?」と、その背景にある理由を考えてみてほしいです。

すぐに答えは出ないかもしれません。でも、丁寧に情報を拾い上げることで、「自分とは違うアプローチで高みを目指しているんだな」と気づける瞬間がやってきます。その理解ができて初めて、「相手を慮りながら、自分の意見を伝える」というスタート地点に立てるようになり、建設的な議論が生まれます。

――その後は、大手スタートアップ企業や世界的クラウドサービスプロバイダーなど、著名企業での勤務を経験されています。

大手スタートアップ企業には、まだ社員数が100名ほどのタイミングで入社しました。とてつもない勢いで人が増えていき、ピーク時には1カ月間に100名近くが正社員として入社しましたね。これまでの職場で事業がうまくいかない経験をしていたので、スタートアップが急成長して上場するなんて、どこか夢物語のように思っていたんです。でも、それをリアルタイムで経験できました。

この企業で印象的だったのは、みんながとにかく前向きだったということです。そして、決して無謀な前向きさではなく、冷静な判断力と熱意の両方を持っていました。スタートアップ企業では「成長速度」や「熱量の高さ」といった言葉が、職場の魅力を表すうえでよく使われます。ですが、そうした言葉はときに会社の問題を覆い隠してしまい、事業や組織が悪い方向に進んでいても社員が気づけなくなることがあります。勢いのある企業で働いているときこそ、「自分たちの方針は、目指しているビジョンに本当に近づけているか?」と見つめ直す姿勢が大事だと感じました。

また、世界的クラウドサービスプロバイダーでは、ソリューションアーキテクトとして数多くのスタートアップ企業のアーキテクチャをレビューし続け、改善のためにご支援しました。「アーキテクチャ改善1,000本ノック」のような日々でしたね。この経験によって、PayPayでチームメンバーが構築するアーキテクチャに対して、適切にフィードバックを返せるようになりました。

さらに、多種多様なフェーズの企業からの相談に応じたことで、「企業が成長する過程でどのような課題に直面するのか」を深く理解できるようになったのも大きいです。これもPayPayでの業務に大いに活かされています。

劣等感があるならば、真正面から全力で向き合ってほしい

――数多くの経験や学びが、PayPayのSystem Platform部 部長としての業務に結実しているのですね。

そうですね。導かれたのかな、という感覚があります。実はPayPayに入社した当初は、マネジメントをするつもりはまったくなく、あくまでIndividual Contributorとして働いていました。ですが、半年ほど経った頃に上司や他部署の部長から「部長をやってみない?」と声をかけてもらい、この役割を任されることになりました。

部長になって思うのは、優れた仲間たちに囲まれて何かをやり遂げることは、本当に尊い仕事だということです。目標を実現するためには、上司がチームメンバー一人ひとりを信じることが大切です。

私がよく言っているのは、「弱みを埋めるのではなく、強みを高めよう」ということです。これも、世界的クラウドサービスプロバイダーにいた頃に学んだことです。個々人が持つ最も優れた力を発揮して、組織全体のパワーの“外周”を押し広げていく。弱みはチームで補えばいいのだから、その人の一番強いところを思いきり発揮してほしいと思います。

――インタビューの結びとして、かつての齋藤さんと同じように劣等感を抱えながら働いている方に向けて、メッセージをいただけますか?

劣等感があるならば、真正面から全力で向き合ってほしいです。たとえば「あの人はOSSのコミュニティで活躍しているのに、自分は何もできていない」と感じるなら、毎日コードを書いて、ひたすらコントリビューションを続ければいい。その先に、きっと今まで見たことのない景色が見えてくるはずです。

私の場合は、高卒であることに引け目があり、大学院へ進学しました。それによって、「学歴など大した問題ではなかった」と気づけたんです。劣等感は自分を奮い立たせるきっかけにはなりますが、進む方向までは示してくれません。ぐじぐじ悩むより、本気でぶつかってほしい。その結果見えてきたものが、真の意味で自分が進むべき道だと思います。

取材・執筆:中薗昴
撮影:山辺恵美子