Findy Engineer Lab

エンジニアのちょい先を考えるメディア

強いエンジニアになりたくて。20代の大失敗で始まる、夢を掴んでも挑み続ける二刀流というキャリア

皆様どうもこんにちは。外資系ITコンサルタント企業のクラウド・エンジニアリング部門でマネージャーをしている中川伸一@shinyorkeと申します。本業ではSRE(Site Reliability Engineering)として勤務する一方、個人活動としてブログ「Lean Baseball」およびPyCon JPやDevelopers Summit(デブサミ)等のイベントで、技術・キャリア・野球データサイエンスに関する情報を定期的に発信しています。

私は仕事およびチーム選びの視点として、現職を含めて「自分がやりたいこと・興味あることを仕事とする」「自分が納得できるチームと出会う」の2点を重視しており、自分自身のキャリアにおいて

  1. 常に目標・ビジョンを持つ
  2. その目標が実現できるよう、チームやポジションを求めて環境を変える(転職を含む)
  3. プレーヤーかマネージャーかといった役割にこだわらず、仕事で(個人活動でも)結果を残す

というサイクルを回し続けて、自らが望むキャリアとチームを選択し、プレーヤーとしてもマネージャーとしても結果を出せるよう心がけています。

このスタイルに到達するまで、数多くの失敗やつらいこと、そして成功したことがありました。そういったエピソードを「エンジニアとして強くなりたくて挑み続けた自学自習と転職」というテーマで振り返りたいと思います。

エンジニアとして強くなりたくて挑み続けた自学自習と転職。プレーヤーとマネージャーの二刀流を続ける私のキャリアパス

力量不足による大ピンチと転職活動に大失敗した苦い経験

今から23年前(当時20歳)、パソコンを触ることとちょっとしたプログラミングが好きだった私は、経理系専門学校の情報コースという変わったルートでシステムエンジニア(SE)として就職しました。

そして24歳で国内の独立系ITコンサルタント企業に転職し、SEとしていろいろなプロジェクトを経験しました。当時の私は最新の技術動向やコミュニティ活動といったものに全く興味がなく、「最低限の給料さえ稼げていればそれでいい」と考えていた、いい加減な若手SEでした。

それでも最低限の技術スキルと文章力、ちょっとしたコミュニケーションスキルでいい感じに渡り歩いていましたが、勉強を疎(おろそ)かにした自分の力量不足に加えて、2008年に発生したリーマンショックの影響から2つの事件に遭遇しました。

  • 配属先のプロジェクトがなく、社内ニートとして過ごすピンチに陥る
  • 転職活動で20社以上に選考を申し込むものの、全ての企業で不採用になる

リーマンショックの影響がビジネスにも影を落としていた2009年の夏(当時29歳)、私はプロジェクトをリリース(契約終了)となり、会社に戻ったのはいいものの、自分自身のレピュテーション(他者からの信頼)リスクとスキル不足により次のプロジェクトが決まらないというピンチに陥りました。

これに焦った私は転職活動を始めましたが、こちらも全くもって希望が叶わない結果となりました。転職エージェントを通じて30社近くに応募したものの、書類選考を通過したのは10社程度と少なく、最終面接を受けた2社とも不採用に終わるという大惨敗を喫したのです。

その後、かろうじて次のプロジェクトが決まり、降格や整理対象といった最悪の事態は避けられたものの、自分自身に対して情けなさと悔しさを感じました。これから先を「最低限の給料さえ稼げていればそれでいい」程度の認識じゃ生き抜くことはできない、と肝に銘じたのは言うまでもありません。

自学自習を通じて技術とやりたいことを見つけた30代の転機

私のエンジニア人生に大きな転機が訪れたのは2009年の秋、30歳の出来事でした。前述の「かろうじて決まった次のプロジェクト」はR&D(研究開発)を主体とし、会社における先進的なプロジェクトでした。そのためクライアントの社員であれ外部スタッフ(私が所属する会社のメンバーを含む)であれ、挑戦する人・貢献する人が称えられるスタンスを持った前向きなチームでした。

このチームでは、常に新しい技術やプロセスに挑戦し、学びを得ることが求められました。挑戦のための「自学自習」はやって当然で、仕事中だけでなく雑談や飲み会においても「新しいアプリを作った」「新しい技術書に乗っていたプロセスを試そうと思う」という会話が当たり前のようにありました。どれもこれも初めての体験で、かつ知らないカルチャーだったこともあり、衝撃と焦りを感じました。

降格・整理対象寸前であった私は「このプロジェクトからリリースされたら詰む(終わってしまう)」という状況下でもあり、休日には本屋を巡って気になった技術書を買って読むようにしました。仕事を通じて好きになったPythonで休みの日もコードを書き、外出中にカフェやちょっとした飲み屋でも勉強できるように、新しいMacBookに買い替えました。

このように「ひとまずできるところからやってみるか」というノリで自分自身のための勉強を始めたことが、私にも「自学自習」という文化と習慣が芽生えた瞬間でした。このスタイルが合っていたのか、クライアントや自社チームとの活動の過程から最新技術へのキャッチアップが楽しくなり、勉強会やカンファレンスへの参加から外部登壇も実現し、さらにブログ執筆へと活動も広がりました。

「自学自習」によるレベルアップおよびアウトプットで信頼を勝ち得た私は、「Webとスマホのハイブリッドなアプリ開発」「クラウド上でのアプリ開発・運用」「機械学習プロジェクト」「アジャイル開発なスタイルでのマネジメント」と多くの経験を積ませてもらいました。自社の上長およびクライアントからも「中川さんはいい仕事をしてくれる」という評価をもらい、最終的には4年半もの間に多くの仕事を経験しました。

このような仕事と生活のスタイルを数年続けた結果、自他ともに認める圧倒的な成長(と給料の上昇)という成功体験を得て、エンジニアという仕事と技術が大好きになりました。そして「好きな技術」と「やりたいこと」という自分自身のキャリアとビジョンが次のように形成されました。

  • リーンスタートアップの世界観にある新規事業や先鋭的なプロダクトを扱うチームでエンジニアとして働きたい
  • 可能な限り、Pythonでアプリ開発やデータサイエンスをやりたい
  • 将来的には、大好きな野球の分野にエンジニアとして携わりたい

気がつけば独立系ITコンサルタント企業では10年半働いていましたが、上記の「自分自身のキャリアとビジョン」を実現するには、環境的な限界を感じました。そこでコミュニティでつながった友人のオファーが起点となって、2014年秋(35歳)に国内大手メガベンチャーに転職。

ここで新規事業を扱う部署のエンジニアとして、プロダクト開発および事業運営に関するノウハウを学ぶも、再びキャリアの壁にぶつかって2016年の初め(36歳)に人材領域のスタートアップに転職。 気がつけば転職を繰り返しながら自分自身のキャリアとビジョンを考え、求める旅に出ていました。

やりたいことの実現で得た経験とマネジメント職の失敗

この人材スタートアップでは、クラウドインフラ、機械学習、コーポレートサイトの運営といったエンジニアリングの傍ら、テックブログの立ち上げやエンジニア採用のサポート、さらに別の業務(カスタマーサポートなど)を一時的に担当したり、他にも数え切れない経験を積むことができました。

こういったスタートアップらしい業務経験と、Pythonやアジャイル界隈でのコミュニティ活動、仕事仲間との縁が重なり、2017年春にはエンジニアリングマネージャー(EM)として外食領域のスタートアップに転職しました。初めてのEM業で、不安より期待とワクワクが大きかったことを覚えています。

このスタートアップ在籍中に、私の野球に関するデータ分析と活動(ブログやカンファレンスでの発表)が野球関係者の目に止まり、2018年春にはスポーツデータを分析するベンチャーに初代CTO(かつ1人目のエンジニア)として転職。「大好きな野球の分野にエンジニアとして携わりたい」という夢を見て活動を始めて約5年で、本当に野球の仕事をする機会を得たのです。

この日の出来事は一生忘れることができないほどうれしかったですし(詳しくは当時の転職エントリーに記載しています)、同時に「EMからCTOへ」とポジションを一気に駆け上がることにもなりました。

EMおよびCTOとしての私は、プロダクトやサービスを理解しながら関係部署や社外とコミュニケーションを取り、「プロダクト開発・保守の計画」「案件・施策を推進するためのマネジメント」を行いながら、自らもプロダクト開発(プログラミングなどのエンジニアリング作業)を手掛けました。

また、メンバーやインターン、アルバイトとの1on1を通してチームの問題点や困りごとを把握して対策を打ち、育成を通じたチーム力とメンバーの強化に努めました。さらに人手が足りないところでは、自ら手を動かしてエンジニアリングをしながら、採用活動も行いました。

一方で、私は「プレーヤーの方が好き」という気持ちで仕事をしていたため、マネジメント上いくつかの仕事が放置状態となったり、加えてマネジメントやチーム運営の経験不足が起因となってトラブルが発生したりしました。

当時を思うと、私はマネジメントや書類仕事よりもプログラミングしたり黒い画面を開いて作業することに重きを置いて、肝心な意思決定や嫌なことから逃げていた、よくないマネージャーだったのかもしれません。未熟だった私はEMやCTOから降りて、強いエンジニアメンバーとして働く決意をしました。

シニアエンジニアとして挑戦したからこそ掴めた成功

前2社(外食領域のスタートアップと、スポーツデータ分析のベンチャー)でのマネジメント・CTO経験から、私は自分のスキルを次のように振り返りました。

  • マネジメント・経営視点での動き方はまだまだ未熟
  • メンバーを育成しながらプロジェクトのパフォーマンスを高めることは得意
  • 1人のプレーヤーとしてエンジニア技量は平均より高いところにありそう

ここから「管理職ではないシニアなエンジニアとしての職務で働くのがベストなのでは?」という仮説を立て、AIを用いた情報収集および配信を生業とする報道ベンチャーにシニアエンジニアとして転職しました。この決断に至ったのが2019年秋、ちょうど40歳になってからの新たな挑戦でした。

この報道ベンチャーでは、全社のデータおよびAI活用を推進するデータ基盤の構築と運用、BtoB SaaSプロダクトの開発と運用といった開発業務だけでなく、さまざまなことをさせてもらいました。

  • (CTO・VPoE・EMの目が届かない)シニアだからこそ実行できるエンジニアの育成・教育・採用
  • (たくさん失敗した)CTO経験者だからこそできる経営層やマネジャーに対するメンタリング
  • エンジニアリング広報(エンジニアブログおよびイベント開催)を通じた採用や認知向上の活動

このときはマネジメントから一歩引いたシニアエンジニア、最近ではIC(Individual Contributor)スタッフエンジニアと呼ばれる立ち位置でエンジニアリングを実践できました。最初に手掛けたデータ基盤の構築と運用が見事に軌道に乗り、最終的には外部メディアでも事例紹介が行われるなど、キャリアを通じて最高のパフォーマンスとバリューを発揮できたように思います。

また、新型コロナウイルスが猛威を振るい「ワクチンをいつ接種できるのか?」が注目される中で「AIワクチン接種予測」をリリースし(現在はサービス提供終了)、世の中にインパクトを残すことができました。これはプロダクトオーナーである社長から「中川さんならできるでしょう」とバイネームで指名され、数カ月間は死ぬ気でプロダクトマネージャー兼エンジニアとして企画・開発を仕切らせてもらったのはよい経験となり、人生で初めて自分の強みを全て使い切った仕事になりました。

この経験から「マネジメントもエンジニアリングの一部だと思えるし、どちらも実践できることがシニアエンジニアの条件かもしれない」と考えるようになりました。自分の中で「マネジメントとプレーヤーの二刀流」というシニアエンジニア像が生まれた瞬間でした。

エンジニアとして強くなりたくて挑み続けた自学自習と転職。プレーヤーとマネージャーの二刀流を続ける私のキャリアパス

マネジメントに再挑戦して「二刀流」はまだまだ続く

報道ベンチャーでの二刀流シニアエンジニアは、やっていて「いいな」と思いましたし、プレーヤーなエンジニアとしていい感じにやれているものの、「もし自分がCTO(もしくはマネージャー)だったら?」的な思考や判断をすることも増えてきました。

プレーヤーとしてやりたいことはまだありますが、何となく先も見えてきました。そこで今よりもっと強いエンジニアになるためどうすべきかを考えた結果、むしろ「再びマネジメントに軸を置くポジションを経験した方がよいのかもしれない」という仮説が生まれました。

経営層から若手メンバーまでメンタリングをし、いくつかのプロジェクトにおいて実質的にプロダクトマネージャーとして従事した結果、またしてもマネジメントを主たる業務としたいと思ったわけです。「管理職ではないシニアなエンジニア」を指向していた転職時の私からすると大きな進歩でした。

ここで「当時の会社でEMにキャリアチェンジする」「転職してゼロベースでやり直す」という2つの選択肢がありましたが、世の中を見渡すとDXやWeb3といった話題が盛り上がっており、その勢いもあってITコンサルタントやSIerが好調であることから、マネジメントのロールモデルとなるような人と働けることを期待して、外資IT系コンサルタント(現職)にマネージャーとして転職しました。

現在はこの記事で紹介した経歴を全て生かして、マネージャーとして働くことができています。

  • 若手時代の苦い経験(プロジェクトが決まらない、転職活動に大失敗)
  • 自学自習を通じて好きな技術とやりたいことを見つけた30代の成功体験
  • マネージャーおよびCTOとしてたくさんの失敗をした30代後半
  • アラフォーでシニアエンジニアとして成果を出した経験

今後は、エンジニア組織にコントリビュートしたり(CTOやVPoE、シニアなEMとして)、エンジニアリング領域のSME(Subject Matter Expert)として結果を出したりといったことを非常にぼんやりと模索していますが、何をやるにしても「マネジメントとプレーヤーの二刀流」でやれる環境に身を置きたい(もしくは自ら機会を求めて作っていきたい)と考えています。

エンジニアとしてもっと強くなりたいので「プレーヤー」と「マネージャー」の二刀流で歩み続ける。

エンジニアな自分であるうちは、このスタンスを大切にやっていこうと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

編集・制作:はてな編集部

※写真は2023年10月開催の「PyLadies Tokyo - 9周年記念パーティ」にて(撮影:Yoichi Takaiさん、CC-BY 2.0