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ゼロイチの事業立ち上げから100名規模の開発組織になるまで。「CTOのバトン」を受け渡したアソビューにマネジメントの醍醐味を学ぶ

2024年7月1日より、アソビュー株式会社のCTOが江部隼矢さんから兼平大資さんへと交代しました。今後、江部さんは同社のグローバル展開の中核を担います。そして、兼平さんはCTOとして企業の成長を牽引し、事業や組織のさらなるスケールを図ります。この新体制がアソビューの現在の企業体制によりマッチしていることや、江部さんと兼平さんそれぞれがキャリアで成し遂げたい目標があることが、CTOのバトンを受け渡した背景にあります。

なぜ、このタイミングでのCTO交代が重要なのでしょうか。今回はお2人にアソビューのこれまでの歴史を振り返っていただいたうえで、新体制で目指す「アソビューの次のフェーズ」についてお聞きしました。その言葉には「事業を立ち上げ、サービスや開発組織を大きくしていくうえで大切なこと」のエッセンスが詰まっていました。

サービスは鳴かず飛ばず。そんな状況を打破した秘策は「何かの分野で日本一になる」こと

――今回のインタビューでは、アソビュー株式会社のCTOが江部隼矢さんから兼平大資さんへと交代した経緯について聞きたいです。それを語るうえで、まず「アソビューが創業してから現在まで直面してきた出来事」をピックアップして話していただき、その後に「なぜ、いまのタイミングでCTOを交代するのか」をご説明いただければと思います。

江部まずは私がアソビューに入社するよりも前の話からしますね。代表取締役社長の山野(智久)が創業したばかりの頃、私は業務委託で開発を手伝っていて、当時は「トラベリズム」という名前の旅行メディアを立ち上げようとしていました。忘れもしません。リリースをしたのは2011年の大みそかで、親戚みんなが祖母の家で過ごしているとき、私は一人で漫画喫茶にこもって、リリース作業をしていました。

しかし、そのサービスは結局全く人気が出ないまま終了しました。当時、事業に携わっていたメンバーたちはインターネット上のビジネスを全くやったことがなく、運用改善もろくにできないまま終わってしまったんです。その頃、私は「業務委託のエンジニアだから、あくまでお手伝いの立場」という気持ちがあり、事業を伸ばすことに対してそこまで本気になれずにいました。

でも、自分の作ったサービスが世の中に受け入れられないまま終わるというのは、こんなに悲しいことなのかと痛感して。もっと会社のなかに入って当事者として事業と向き合わなければ駄目だなと思いました。山野とはもともと中学校の同級生で、気心の知れた仲でした。それにビジネススキルも高い人間なので、「彼と一緒に本気になってサービスを作ってみよう」と決心して、CTOとして会社に入ることにしました。

そこから、遊び予約サイト「アソビュー!」を立ち上げたんですね。2カ月間、私は夜もろくに眠らずひたすらにコードを書き、山野はひたすらレジャー施設などに電話営業をしていました。ただ、そうは言ってもリリースしてからなかなか売上が立たなかったですし、最初の3カ月はユーザーからの申し込みはゼロでした。

――スタートアップを立ち上げる人たちは、同じような状況に置かれたとき経営者同士の仲が険悪になったり、心が折れて事業を畳んでしまったりするケースもあります。なぜ、諦めずにやれたのでしょうか?

江部まずは、山野がかなり強いリーダーシップを持っていたという要素は大きいです。自分たちの進む未来を本人が一番信じていましたし、彼はその思いを直接言葉で表現できる人です。そこに勇気づけられたのは、間違いないです。それから、私と山野の得意分野が異なり、良い意味で背中を預けられる関係性だったこと。山野は営業が得意で、私は開発が得意。役割が完全に違ったからこそ、お互いの思いがコンフリクトしなかったのは、振り返ってみれば良いことでしたね。

江部隼矢さん

――その後、どのように売上を作っていったのですか?

江部エンジェル投資家の方に、アドバイスをもらったんですよ。「とにかく何の分野でもいいから、日本一になれる要素を作らなければいけない。そうでないと他のサービスとの差別化もできないし、周りの人々もついてこないよ」と言っていただいて。そこで「私たちはWebサイトに掲載する商品数で1位になります」と宣言しました。

そこからインターン生を約15名集めました。その方々に手伝ってもらいながら営業や商品登録などの作業を進めて、数カ月かけて本当に日本一の商品数になったんですよ。実際に、商品が増えるにつれて予約数も伸びていきました。この「日本一の商品数を目指す」というわかりやすい行動目標ができたことも、心が折れなかった要因のひとつかもしれないですね。

兼平私の入社前にそういうことがあったんですね。アソビューは「12の約束」と呼ばれるVALUEを定めていますが、それは当時のエピソードともつながっているのかなと感じました。個人的に江部さんの強みだと感じている点として、一度方針を決めたら迷わずに突き進む、12の約束のなかの「逃げない、やりきる。」力がすごいです。

アソビュー株式会社Company Deckより

「エンジニア採用にプラスになるからこの技術を選ぶ」は本質ではない

――次のエピソードもお聞きします。

江部エンジニアの人数が10名を超えたくらいの頃の話です。現在のアソビューでは「ドメイン駆動設計・Java・モジュラモノリス・Monorepo」などのわかりやすい技術的なコンセプトが定められていますが、当時はそれがありませんでした。開発組織のなかで技術的な思想や文化が統一できていなかったので、エンジニア同士の間で「私はこの技術を使いたい」という論争が行われるんですよ。

その頃は、Webアプリケーション開発においてはRuby on Railsが全盛期で、PHPもまだまだ幅を利かせていました。ScalaやGoも流行り出した頃で、ちょうどエンジニアの間で「サーバーサイドの言語には何を使うべきか」の議論が活発だった時代なんですね。幾度となく、私たちが使用していたJavaから他の何かへと、使用するプログラミング言語を切り替えようという運動が起こりました。

私自身も考え方の軸が定まっていなくて、「サーバーサイドの言語がJavaのままでは、エンジニアをたくさん採用できないかもしれない」と不安な気持ちになっていました。そのため、「Pythonを導入すればエンジニアを採用しやすくなるかもしれない」とか「Goを導入すれば〜」といった安易な気持ちで、部分的にその言語を導入しては頓挫することをくり返していましたね。ただ、結果的には変えなくて良かったと思っています。

――何かを契機に「Javaのままでいこう」と決断されたのですか?

江部あるタイミングで、技術顧問として入っていただいた方に、ドメイン駆動設計を用いたプロダクト開発の支援をしていただきました。その際に、Javaの持つ言語特性とドメイン駆動設計との相性の良さをすごく感じたんですね。その体験があったことで、開発組織全体で「Javaは自分たちの開発スタイルに合っている言語だ」というコンセンサスが生まれたんですよ。

兼平技術選定を行ううえでは、単にその言語やフレームワークなどの技術的な面を見るだけではなく「自分たちが事業で成し遂げようとしている目的や、自社の開発組織の文化とも合っているか」を考えることが重要ですよね。だからこそ、ミッション・ビジョン・バリューなどを社内に浸透させて、社員みんなが同じ方向を向いている状態で技術選定をしなければ、うまくいかずその場しのぎの選択になりやすいです。

兼平大資さん

江部そうですよね。そもそも、「何の目的を達成するためにその技術を採用するのか」の共通認識を持たなければならないと実感しました。本来、技術というのは適材適所で選ぶべき手段ですから、エンジニア採用などのために選ぶ技術を変えるというのは本質ではありません。それに、今になって感じるのは「エンジニアを採用できない本当の原因は、言語ではない」ということですね。

その言語を選んだ理由や思いを論理的に説明できるのであれば、それに共感してくれるエンジニアは必ず現れます。当時の私たちがエンジニアをうまく採用できなかったのは、自分たちの選んだ技術について、その理由を適切に説明できていなかったからなのではないかと、振り返ってみると思いますね。

ビジネスサイドも含めて、“不確実性”へのコンセンサスが取れているか

――他のエピソードはいかがですか?

江部近い時期の話で、まだまだ開発組織としての体制が整っていない時期ですね。創業から2~3年くらい経った頃で、四半期ごとに事業やプロジェクトの方針に合わせてタスクフォースのような形で組織をどんどん組み直していた時期がありました。複数のメンバーから「いつになったら、まともなチームを作るんですか?」と言われていたほどで、チームと呼べるものがありませんでした。

事業計画を中心に開発プロジェクトを動かしていくので、考え方がめちゃくちゃウォーターフォール的なんですよ。事業計画を達成できるように、開発計画もそのスケジュールに合わせて引いていくという方針を選んでいました。ただ、当たり前ではありますがチームとして成熟していない状態のまま、最初から確実性の高い見積りを出すのは不可能です。その課題を理解していながらも、プロジェクトを進める体制をいつまで経っても変えずにいた時期がありました。

その体制から少し経った後に、「アソビュー!」のサービスを全面リニューアルするプロジェクトが2017年に始動しました。このプロジェクトは経営陣のトップダウンのもと、スケジュールも作業スコープもがっちり決めて進めたんですが、途中で頓挫して、仕切り直して、結果的にリリースを1年も延期することになりました。

これが良くも悪くも、開発組織としても、会社全体としても、考え方を改める転換期になりましたね。なぜ失敗したのかマネジメント体制を含めて振り返りをしてみると、そもそも「システム開発というものはかなりの不確実性があり、スケジュールや作業スコープを無理矢理決めて進めても絶対にうまくいかない」というコンセンサスを、ステークホルダー全員で取れていなかったと気づいたんです。そこから、きちんとチームを編成してウォーターフォールではなくスクラムに取り組むとか、ビジネスサイドも開発の不確実性を理解するという大きなきっかけになりました。

兼平江部さんはプロジェクトにおける会話の中でも、見積りをする際に「この事態ってどれくらいの可能性で起こり得ると思う?」とメンバーによく問いかけているんですよね。要するに、きちんと不確実性に対して目を向けつつ、それが発生するリスクがどれくらいあるか、発生すればプロジェクトにどういった影響があるかという共通認識を、メンバー全員で持とうとしている。その意識を江部さんからはすごく感じますね。

新型コロナウイルスの影響で売上ゼロ。その状況下で踏ん張り続けるために

――過去の重要なエピソードと言えば、新型コロナウイルスの時期のことは欠かせないでしょうね。

江部あの時期は大変でしたね。新型コロナウイルスの流行の第1波の時期に「アソビュー!」の売上がほぼゼロになって、なんとか収益をあげないと会社のキャッシュが無くなるという危機的な状況に陥りました。

当時の私たちは、在籍出向という施策をしていました。要するに、アソビュー社の従業員として籍を残したまま、他の出向先企業で働くという形態です。これで出向先企業から人件費を捻出していただきアソビューからキャッシュが出ていくのを防ごうとしていました。エンジニアも対象だったので、出向先企業との面談に同席しましたよ。すごく複雑な気持ちになりながら、面談で話をしました。「大事なメンバーたちが外に行ってしまうのか……」と。ただ、結果的にはエンジニアの出向の話は、途中で取りやめになりました。

――何か転機となる出来事があったのですか?

江部コロナ禍の状況のなかで、「日時指定チケットをユーザーに提供しよう」という話が持ち上がりました。それまで、「アソビュー!」では入場券を購入したユーザーはレジャー施設にいつでも入ることができたため、コロナ禍で規制の対象になっていました。ただし、日時や時間帯毎に敷地面積あたりの入場人数に制限をかけられるようにすれば、ユーザーはレジャー施設を安心して利用できるということになり、これが大きな転機になりました。

――コロナ禍の時期のことを思い出しますね……。確かにさまざまな施設で、時間帯ごとの入場規制がかかっていました。

江部「日時指定チケットを作れば事業回復できそうだ」となって、エンジニアの出向は取りやめになったんですね。出向先企業の方々に多大なるご迷惑をおかけしましたが、あの頃の出向先企業への申し訳なさと、エンジニアたちが戻ってきてくれる安心感が入り混じった気持ちは忘れないです。

ただ、日時指定チケットを提供する方針は決まったものの一刻も早く開発しなければならないので、暫定対応版は私一人で1週間くらいでバーッと作りました。粗いコードでしたが、これを作れば営業もできるし、アソビューがなんとか業績を回復できるんじゃないかと。それからの本対応版もメンバーたちが素晴らしい仕事をしてくれて、わずか1カ月ほどで開発し、リリースを行いました。

アソビュー株式会社プレスリリース:アソビュー、新型コロナウイルス感染症拡大予防対策として、としまえんへ日時指定電子チケットシステムの提供開始(2020年7月11日)

――その後、アソビューは事業のV字回復を果たし、さらには2021年12月にシリーズEラウンドで30億円の調達を実現するわけですから、まさに土壇場の踏ん張りが会社を支えたわけですね。

兼平「日時指定チケット機能を作りたい」という要望は、コロナ禍の前から挙がっていたんですよ。ただ、もし開発するならばかなりの工数がかかると言われていた施策でした。それがコロナ禍によって一日でも早く機能を作らなければならない状況となり、とにかく急ピッチで開発を進めました。

急ぎで作ったので、決して綺麗なシステム設計ではなかったかもしれません。それでも、会社の課題をエンジニアが真の意味で捉えて、解決策を考えていくことの大切さを実感する、重要な出来事だったように思います。エンジニアはどうしてもシステムとしての正解を求めたがりますが、そうではなく「システムの最適解ではないものが、ときに事業の最適解というケースもある」という事例でした。

江部それから、こういう危機的な状況に陥ったときに悲観的な気持ちになったり「この会社はヤバいから転職しよう」と考えたりすることもあるはずです。しかし、今の時代のエンジニアは引く手あまたですから、万が一会社が倒産しても食いっぱぐれることはありません。だからこそ、むしろ危機的な状況のなかで「自分自身が会社を回復させてやる」くらいの気概で働いたほうが、その後のキャリアのためにもなるはずです。

――厳しい状況のなかで、前を向いて戦った経験からしか得られないものがありますよね。

江部そこに、経験の深みが生まれる気がするんですよね。

開発チーム全体で新規開発を半年間ストップ。可用性向上に全力で取り組む

――他の経験談はいかがでしょうか?

江部これは先ほどのエピソードの続きなんですが、コロナ禍からのV字回復を果たした後、会社全体として事業を伸ばすための攻めの施策をずっと続けていました。それによってアクセス数が増えたことや、システムの技術的負債の解消などが後回しになっていたことなどが積み重なり、パフォーマンスの課題が生じるようになったんです。アクセスが集中すると、システムが高負荷になって落ちてしまうことが多発しました。

兼平先ほど言った通りコロナ禍では事業が危機的状況で、それを回復させるために社員全員が一丸となって取り組みました。ただ、数時間にわたってシステムが停止するほどの障害がたびたび起きたことをきっかけに、「攻めの施策だけでは事業成長はできないんだ」ということをみんなが痛感したんですよね。そこで、事業推進系の施策をすべて止めて、開発チーム全体で半年間かけて可用性向上のために総力を上げるという決断をしました。

システムを利用するクライアントやユーザーの方々にご迷惑をおかけしてしまったのは、大変申し訳ない事態です。しかし、この経験を通じて開発組織全体としてのチームワークや可用性と向き合う意識は向上しましたし、ビジネスサイドのメンバーも攻めだけではなく守りの施策も必要なんだという意識が生まれました。各地へ遊びに出かけるユーザーの方々や、それをお迎えするレジャー施設のみなさまにとって、当社のシステムがインフラになっていることを改めて自覚した瞬間でした。

開発組織が注力すべき領域は、フェーズによって変わっていきます。先ほどのエピソードのように売上が立たない状態で守りを固めてもしょうがないですし、逆にクライアントやユーザーが増えているときはシステムの可用性や堅牢性を大事にしなければなりません。だからこそ開発組織をマネジメントする立場にある人は「事業として何を大切にすべきフェーズなのか」を常に意識しておくと、最適な意思決定をしやすくなります。

「CTO相当の人材がたくさんいる会社」へ

――そうした数々の出来事があった後に、CTOが江部さんから兼平さんへと交代したわけですが、これはどのような理由からですか?

江部「CTOを兼平に任せたい」という構想そのものは1年以上前からあったんですよ。理由としては大きく2つあって、まず私が社内で担っている役割が徐々にビジネスマネジメントに近くなってきていたので、技術面できちんと方向性やリーダーシップを示せる人がCTOになったほうが良いだろうと思ったこと。兼平は高いスキルを持つエンジニアで、これまでもアソビューの技術や開発組織を支えてくれていました。

もうひとつの理由は、私がもともと海外志向が強く、いつかグローバル規模のビジネスに挑戦したいと思っていたこと。高校・大学は海外で過ごしましたし、つい最近までMBAを取得するために働きながら海外の大学院に通っていました。また、アソビューでは創業期から海外展開を視野に入れていました。コロナ禍も乗り越えグローバルの旅行市場が回復傾向にあるこのタイミングで、本格的に海外展開をしていく経営方針です。

私の個人的な思いとアソビューの事業展開のタイミングが合致したため、「このタイミングでCTOを交代しよう」と決断しました。海外事業は少人数のチームで推進し、私はそのなかで事業責任者の役割を担います。もう一度、新たにスタートアップを立ち上げるような感覚ですね。

兼平私はCTOとして技術や開発組織全体を統括する役割を担いますが、江部からはそれに加えて「プロダクト部門全体を率いていくような、ロールモデルになってほしい」という言葉ももらっています。これまでやってきた技術・開発組織のマネジメントに加えて、ビジネスについてもより理解して事業に深く入り込んでいくような動きもしたいです。そうして私が活躍する機会が増えれば、会社にもポジティブな影響があるでしょうし、メンバーたちも「こういう状態を目指して自分も成長しよう」と思ってくれるはずです。

――今後、アソビューの開発組織をどのように成長させたいですか?

江部CTOクラスのエンジニアがたくさんいる会社になればいいですね。事業が拡大していくと、全社で1人のCTOが果たせる役割はどんどん少なくなっていきます。そうなったとき、開発組織のなかのマネージャーやリーダーたちが、CTO的なマインドやスキルを持って思考・行動できれば、その企業は持続可能な状態になると思います。要は、自立分散型の組織としてアソビューを成長させていきたいです。

兼平事業や組織、技術など複数の領域において、成長の再現性があるような体制を作っていきたいです。私のアソビューでのキャリアはメンバーからスタートして、チームリーダーやテックリード、マネージャー、VPoE、VPoTなどを経て今回CTOになりました。

これまで自分なりにたくさん努力をしてこのキャリアを実現してきたんですが、こうした成長を他のメンバーでも再現させていきたいと考えています。要するに、スキルの高いメンバーを、アソビュー社内で偶然ではなく必然で生み出せるような体制にしていきたい。どうすれば、その仕組み作りができるかを考えていくのは、CTOとして今後の重要なミッションです。

――最後に「事業や開発組織を成長させていくことの醍醐味」というテーマで、お二人の考えを聞かせていただけますか?

江部私のこれまでのモチベーションの源泉になったのは、「ここを乗り越えた先に、どんな景色が見えるんだろう」という気持ちなんですね。いま取り組んでいるグローバル事業もそんな気持ちで、サービスのリリース後にどうなるか非常にワクワクしながら、仕事に取り組んでいます。開発組織を成長させることについても、同じ気持ちですね。

私がCTOとしてものすごく嬉しかった過去の出来事があって、それは自分が全くコードを書かずに新サービスがリリースできた瞬間なんですよ。要するに、開発組織が徐々に成長してみんなが自発的に動けるようになって、チームとしてレバレッジが利いて、できることの幅が広がっていく。その瞬間が楽しいんですね。毎月の部会などで各チームの成果を聞いていると「めちゃくちゃ嬉しいな」と感動しますよ。それが私にとっては一番嬉しいことですし、今後もそんな瞬間を増やしていきたいです。

兼平私は他の誰かが喜んでいる姿を見ると、幸せな気持ちになるんですよね。私は入社したのが約7年前なんですけれど、その頃は「アソビューで働いています」と知人に話してもほとんどの人はサービスのことを知りませんでした。でも最近では「いつも使っています」とか「子どもと一緒にお出かけしています」という話を多くの人たちがしてくれて、そんなときに事業を育ててきて良かったと感じます。

それから、働いているメンバーたちもどんどん増えてきて、現在では開発組織が100名規模になりました。江部さんが言ってくれたように「こういう仕事をしています」とみんなが話しているのを聞くのも、本当に嬉しくて。そういった、さまざまな変化に起因した嬉しさというのは、事業や開発組織が成長していくからこそ感じられるものです。だからこそ、自分自身の仕事がそれらの成長の一助になれたらいいですね。

取材・執筆:中薗昴
撮影:山辺恵美子