たとえ今はメジャーでなく、どうなるか分からない技術であっても、仕組みとしての正しさに共感し、未来への可能性にワクワクさせられるなら躊躇せずに飛び込むべきではないか。現在のフロントエンド技術につながるコミュニティで早くからイベントの主催などをしてきた川田寛(@_furoshiki)さんに、20代で突き当たった大きな壁と、ブレイクスルーした体験を執筆いただきました。
- インターネットがいかがわしくて飛び込めない……
- いかがわしくない会社でインターネットに関われたものの
- コードはロジカルでもエンジニアはロジカルに動かない
- 落ちるところまで落ちたなら周りの評判は気にならない
- 先行者利益によって身に余るモテを得たものの
- いかがわしい何かへ全力で挑むことは難しい
インターネットがいかがわしくて飛び込めない……
インターネットはただのオモチャだ。そんなふうに見られていた時代があります。
私が高校に入学した2000年ごろもまだそんな雰囲気でした。夢中になってインターネットを触っていると、アルバイト先の大人たちから「バカになるぞー」と諭されたものです。ゲームをやり過ぎている子供にでも見えたのでしょう。
けれどそんな声にも耳を貸さず、私はインターネットへどっぷりとハマっていきました。自分が作った何かが見ず知らず誰かに発見され、好き勝手な感想をぶつけあえることに毎日興奮していました。最初はテキストや音楽をどこかにアップロードするだけでも十分に楽しめていました。次第にそれでは満足できなくなり、プログラミングにも手を染めました。
地元の神戸では、いかがわしいCDや機器を取り扱う人たちがJRの鉄道高架下にひっそりと店を構えています。ジャンク品のノートPCなどがそこらへんに適当に積み上げられ、学生の小遣いでも手が届く価格で投げ売りされていました。それを運任せに買ってみては、雑誌の付録のLinuxがインストールできないか試してみたり、PerlやC言語で書いたプログラムを無理やり動かしたりしていました。
▲ 5,000円ぐらいで買ったジャンクPC。奇跡的にFedora Core 6のみドライバーが動いた記憶が……
日に日に、ネットで何かしてみたいという想いが強くなっていきました。しかし、私が就活を始めた2007年ごろは「スタートアップ」という言葉すらまだない過渡期です。仕事としてネットに関わることも簡単ではありません。そもそもニコニコ動画やpixivが生まれた直後のインターネットに、銀行振込みがしたいとか料理をデリバリーしたいとかいう社会インフラ的なニーズはほとんどありません。新卒採用の枠もかなり限られています。
それ以上にキツかったのが、インターネットに染み付いたいかがわしい印象です。直前までWinny事件やらライブドア事件やらが世間を騒がせていました。そもそも理系の学生というものはメーカーに就職することがマジョリティであり、ネットの会社に行きたいなんて言おうものなら、研究室の先生から「破門だ!」と怒鳴られたりします。私なんてちょっとしたSNSを作っただけで先生からにらまれたものです。
たいした勇気もない私はそんな業界に飛び込む気になれません。とはいえ、せめてインターネットっぽい技術にだけでも近寄りたい。そこで目をつけたのが、NTTグループです。
いかがわしくない会社でインターネットに関われたものの
インターネットの普及とともに盛り上がってきたPostgreSQLやLinux、Javaのミドルウェアなど、有名どころのオープンソースソフトウェアにNTTはガッツリと関わっていました。多くのコントリビューターやコミッターが、NTTやグループ会社に所属していることを何かの噂で耳にしていました。
かなり真面目に就活対策をした結果、私はなんとかNTTグループに入社できました。しかも初期配属でいきなりオープンソース関係の研究開発を扱う部門に決まり、配属ガチャとしては大当たりを引いたのでした。いかがわしくない会社でインターネットっぽい技術に関われるわけですから、まさに理想的な環境! 本当に本当にうれしくて、配属先の内示が出た日の夜は社宅の床で転げ回り、何度もガッツポーズをしたものです。
このときはまだ、技術を扱う仕事を人よりずっとうまくこなせると思っていたし、きっと天職に違いないと壮大な勘違いをしていました。そして配属された数日後には、私はただの凡人であり、何も特別な存在ではないことを嫌というほど自覚させられたのです。
右前の席には、いつも黒いスーツを着た体の大きなおじさんが座っていました。彼は社内でJenkinsおじさんと呼ばれていました。Jenkinsのコントリビューターだったそうです。「面白そうだからプロジェクトで使ってみたんだけど、バグが多くてさ。それを直してたら、いつの間にか仕事になっていたんだよね」とのこと。面白そうだから使ってみた……うーん、なるほど??
机に大きなプラモデルを置いているお兄さんが、近くの席に越してきました。彼は以前、Linuxカーネルをダウンタイムゼロでアップデートできる仕組みを作ったという噂を聞きました。しかし、ランチ中はDelphiというプログラミング言語の話をしたり、故郷のTurbo Pascalに思いを馳せたりしていました。プログラミング言語の好み……うーん、なるほど??
「一人になる時間が欲しい」そんなことを言ってるイケメンふうのパパは、終業後にオフィスの近所にあるドトールへ通っていました。彼はいつもカウンター席でコーヒーを飲みながら、jBossというJavaのミドルウェアの修正パッチを書いてました。世界中のエンジニアが待ち望む修正パッチが、一個人の趣味の時間で作られているなんて意味不明! しかし、彼いわく「趣味でやる方がリラックスできて楽しい」のだそうです。趣味の方が楽しい……うーん、なるほど??
コードはロジカルでもエンジニアはロジカルに動かない
「エンジニアって、感情をとても大事にする人たちだなぁ」
これが私のソフトウェアエンジニアに対する最初の印象でした。エンジニアはロジカルに行動を決定するという主張をよく耳にしますが、私は1ミリも共感できません。エンジニアというものは、ガチになればなるほど、エモと趣味の固まりです。それでいてとても繊細で、時にはミュージシャンのようなクリエイティブさを持ち合わせています。
そんな彼らの意思決定には、好みやらモチベーションやら「なんとなく面白そう」だとか、全くロジカルでない要素が大切に扱われます。なぜならそれが、開発現場の生産性やデリバリースピードみたいなところから、採用活動のような組織運用面でのコストに至るまで、さまざまな影響を与えるからです。
ただでさえ頭が良くて優秀なのに、趣味としてプログラミングが大好きで、仕事をしていない間も脳のリソースをコードのために費やすような人たちがうじゃうじゃいるわけです。まるで漫画でも楽しむ感覚で技術書や、カーネルのメモリダンプまで読んだりするわけです。エンジニアとは、なんてたちが悪い人たちなんでしょう!
そんな環境に新卒として飛び込んだ私は、散々たるものでした。まったくうまく立ち回ることもできず、運もチャンスも逃げていくし、完全に悪い渦にハマっていました。どれだけ働いても誇れるような技術的実績を1つとして作れません。上司にも散々迷惑をかけ、部署もたらい回しにされました。それでも技術に関わりたいという想いだけは変わらず、みっともない手段を使いながら、技術関連の部署に首の皮一枚のところでしがみついていました。
そんなネガティブな状況を変える、大きなきっかけになったのが「Web技術」でした。
▲ 入社3年目後ごろ、知人の結婚式二次会でコードを書いている様子
落ちるところまで落ちたなら周りの評判は気にならない
2009年ごろ、私はFirefox 3.6のソースコードを暇つぶしに読み始めていました。当時の私には、Firefoxになんとなくイケてるブラウザというイメージがあり、ソースコードは読めばきっと健康長寿とか何かすごいご利益があるに違いないと思いました。
Mercurialと呼ばれる今で言うGitっぽいシステムからFirefoxのソースコードを落として軽く読んでみると、Netscape Navigatorの時代から蓄積された歴史的建造物みたいなコードがバリバリ現役で動いています。「世界遺産でも観に行くか」くらいの旅行気分で読んでみることにしたのでした。
この何気ない行動が、のちの人生を大きく変えることになります。
入社以来、私はずっと技術面で成果を出せていません。とはいえ、このひどい状況からどうすれば脱することができるかも分からず、精神的に追い詰められていました。そんなとき、FirefoxやWebのような気になる技術が目の前に現れたわけです。そこからはもう現実逃避しているかのように、深く深くのめり込んでいくことになりました。
当時のJavaScriptは、決してメジャーなプログラミング言語とは言えません。社内でもそんなに評価されている技術ではありません。「そんなオモチャみたいな言語じゃ大規模システムなんて作れない」「うちの会社がやるものではない」など、本当に散々な言われようでした。まぁ、当時のJavaScriptは言語設計として微妙な部分も多かったので、自分でも「そらそうよ!」と思っていました。
いろいろな人からいろいろなことを言われるうちに、私のマインドセットや価値観にも変化が起こりはじめて、周囲の評価がそこまで気にならなくなりました。やけくそということなのかもしれませんが、技術の仕組みとしての正しさへの共感の度合いであったり、技術が描いている未来へのワクワク度合いであったり、そういう感情の動きに素直に身を委ねられるようになったのでした。気がつけば「たちが悪い」と捉えていた先輩エンジニアと同じような顔になっていました。
寝ていない時間は常に何かを追い求め、コードを読み漁ってみたり、ドキュメントを読破してみたり、いろんな技術コミュニティに顔を出してみたりもしました。仲間が増えてくると、自ら技術コミュニティを作って運用してみたり、勉強会を開いてみたり、スポンサーを集めてカンファレンスを主催してみたりもしました。
先行者利益によって身に余るモテを得たものの
数年のうちに状況は大きく変わりました。
Webの技術はいつしか、HTML5とか、JSerとか、フロントエンドとか、キラキラしたキャッチーな言葉を使って訴求されるようになり、注目度を上げました。そしてスマートフォンの普及とともに、ニーズが爆発的に増えていきました。
私も当初は10人規模の身内だけが集まる勉強会を開いていたのですが、HTML5 ConferenceやDevelopers Summitといった1,000人を超える大規模イベントに、オーガナイザーとして関わるようになりました。興味の赴くままに好きな情報だけを追っていたのに、いつの間にか業界のスポークスマンみたいな役割を求められ、広く俯瞰的に情報をカバーし、情報発信することが求められるようになったのでした。
雑誌への寄稿も大量に依頼されました。検定試験なるものを作る協力をしたこともありました。学校の先生みたいなことも何度かこなしました。その結果として、凡人エンジニアである私には手に負えない規模のさまざまな仕事が舞い込んでくるようになったのでした。
1人の力で対処できない課題を処理するには、他の専門家の力を借りる必要があります。課題をうまく言語化して、仲間を集めて、「マネジメント」という手法を用いて、役割分担して、仕事を前に進めるわけです。専門性が不足しているなら、知識を体系化して教える必要もあります。そうやって大量の課題をうまく処理していくのが常識ではないでしょうか。
しかし、当時まだいっぱしのエンジニアでしかなかった私に、そんなことができるわけありません。自分の力だけで解決できることをしようとするわけですから、「時間がないから無理」なんていう本当にくだらない理由で、いろんなチャンスを棒に振るわけです。
「身に余るモテがやってきた」というのは、こういうことなのでしょう。
弱者が強者に勝つための方法として、「先行者利益」とか「ファーストペンギン」と呼ばれる手法があります。スタートアップが大企業に勝つために、ごく当たり前のようにやっているセオリーみたいな戦略なのですが、私はそれをまったく意図せずに実行できてしまったのでした。しかしそれに対応できるだけのスキルが足りなかったわけです。この時期の私は間違いなく人生で一番ぐらいに人からモテていて、そして最大級のモテの無駄遣いをしていたように思えます。
▲ 企画して運営した技術カンファレンス「HTML5 x Enterprise Web Application Conference 2014」での記念撮影
▶ ただのエンジニアがメディアや技術雑誌に寄稿するようになって思ったこと - 2014年振り返り - ふろしき Blog
いかがわしい何かへ全力で挑むことは難しい
ソフトバンクグループの代表である孫正義氏はこう言いました1。
新しい文化は常にいかがわしいところから生まれる
これから面白くなる技術や新しいビジネスは、とてもいかがわしく見える状態から始まるものです。親に胸を張って話せるかも怪しいし、学校の先生に話そうものなら「破門!」って言われても仕方ないような姿をしています。孫氏はそういういかがわしい事業にひかれ、脳がちぎれるほど考えるのだそうです。
評判が良くない何かに乗っかることは、とても勇気がいるように思えます。たとえロジックとして正しいと理解していても、全く行動に移せないものです。例えば株式投資の初心者は、株価が下がって一番不安なときに株を売り、株価が上がって一番イケてるときに買おうとする傾向にあるそうです。ロジカルに考えたら逆を選ぶのが正しいのに、そうなれないのが人間の性というものです。
そう考えると、私の落ちこぼれた新人時代の罪の数々も、先行者利益にあやかって異常にモテてしまった経験も、決して無駄ではなかったように思えます。いかがわしくて評判が悪い何かに躊躇なく飛び込める勇気を与えてくれました。悪い評判が聞こえてきた方が、私のような凡人にもちゃんと参入の余地があるし、だからこそ安心して飛び込めると思えるのです。周りが何を言ってこようが、自分が良いと思えること、可能性を感じるというワクワクした気持ちを大切にできるようになったわけです。
2015年、私はピクシブ株式会社という念願のネット企業に転職しました。これも「NTTからネットの会社へ転職するなんてありえない」なんて言われていた時代のことです。その数年後、NTTからGAFAMやメガベンチャーへ人が大量に流出してメディアに取り上げられることもありました。そうなる前に飛び込めたのは大きかったと今でも思えます。
ピクシブではエンジニアマネージャーをやらせてもらえたり、新規事業をやらせてもらえたり、VPoEを担ってみたり、凡人の私に身に余るチャンスをいただけたのは、明らかに先行者利益の恩恵を受けたからに違いありません。
そして2023年、ネット業界はレイオフが横行する厳しい不況下にあります。ネット業界人が何かアクションを打つには最悪のタイミングに見えたからこそ、私は起業を決意できたのでした。
▶ 不景気っぽいので急いで起業することにしました #退職エントリ - ふろしき Blog
「今だけは起業するの絶対にやめておいた方がいいぞ」そんなアドバイスを聞かされるほど、今が一番のチャンスだと確信が深まります。今までのネット業界なら絶対にやらないと否定され続けたことをあえてやるには、絶好のタイミングではないかと考えてしまいます。また同じようなチャンスがやってきたとして、以前よりずっとうまくやれるだろうという自信もあります。
業界全体として潮目という雰囲気があります。就職活動や転職活動も、以前のようなバブリーさは当面ないかなとも思います。そんな今だからこそ、いかがわしいけれど面白いと思える何かを信じて飛び込んでみるのはいかがでしょうか。
編集・制作:はてな編集部
※ 記事冒頭の写真は2019年に開催されたピクシブ主催の技術カンファレンス「pixiv TECH SALON」より
▶ 3年後の企業主催Tech Confはどんな姿なのか? - #pixivTECHSALON の狙い - ふろしき Blog
- 平成から令和になった2019年4月2日にYahoo! JAPANで公開されたインタビュー「いかがわしくあれ、新しい文化に立ちすくむな」(現在は公開終了)より↩
川田 寛(かわだ・ひろし)
1985年生まれ。2009年にNTTコムウェア株式会社に新卒入社。Web標準技術の研究開発に身を投じるかたわら、HTML5のコミュニティで積極的に活動し、コミュニティ主催セミナーなども開催、IT技術雑誌にも連載記事を執筆し、Microsoft MVPを3年連続で受賞。2015年、新たなステージとしてピクシブ株式会社にWebエンジニアとしての一員として参画。翌年には、執行役員・事業責任者・エンジニアマネージャーといった立場から、コンテンツプラットフォーム事業の開発と推進に取り組む。2021年12月よりメディアドゥのVPoEを務め、2023年4月に独立。現在は株式会社ブートストラップの代表。ブログは「ふろしき Blog」。