2024年11月、株式会社ログラスは、創業時から同社のエンジニア組織をリードしてきた坂本 龍太さんがCTOを退任すると発表。代わって、2022年に入社した伊藤 博志さんがCTOを引き継ぐこととなりました。
このCTO交代劇について、坂本さんは「胸を張ってCTOのバトンを渡せることを誇りに思います」と語っています。ログラスといえば、エンジニア組織の強さに定評のあるスタートアップであり、同氏はその組織作りに貢献。その一方で、2019年の創業当初から「いつか自分はCTOとして適任ではなくなる」という思いを持ち、次期CTOへの引き継ぎも見据えた組織づくりをしてきました。
新たなCTOを据えて、組織が新たなスタートを切ったこの時期に、CTOとしてのこれまでと、交代する際の苦労、これからの取り組みなどを語ってもらいました。
創業時のCTOとして作り上げてきたエンジニア組織
――「『創業期のCTOとしてベストな存在』を目指して、CTOを担ってきた」という趣旨の発信をしている坂本さんですが、ご自身が創業期として適任である部分、不足していると思われた部分はどのようなところだったのでしょうか。
学生の頃は会計を学んでいたのですが、初代新卒としてビズリーチに入社してエンジニアになる道を選びました。会計大学院にも合格していたのですが、起業したいという思いが強く、急成長する企業で学ぼうと考えたのです。
ビズリーチでは、社員数が60人から1000人に伸びるタイミングで組織の立ち上げやカルチャーづくり、新規事業の立ち上げを経験。その後はサイバーエージェントに移ったものの、そんな風にエンジニアとして何年も働き続けているうちに、起業のことは頭の片隅に追いやられていました。
しかし、後に共同創業することになる布川(ログラス代表)に出会ったことで、起業への思いが沸々と蘇ってきたんです。目の前にいる25歳の優秀な若者が作る未来を見てみたいと感じました。私は大学時代の学びからログラスのマーケットである経営や会計という市場にも明るく、ゼロイチで事業づくりをする上でこれ以上にマッチする人はなかなかいなかっただろうと思います。
そこで布川は私に「CTOになってください」と当たり前のように言ってきましたが、実は一度拒否しているんです(笑)。代わりに私の知人のエンジニアを数名紹介したくらいです。
なぜなら、私は自分より優れたCTOが世の中にたくさんいると本気で思っていたからです。
そもそも私には、自分はエンジニアリングの適性がなく気合いで進んできた、という意識がありました。仕事でコードを書いて余暇の時間にもコードを書いているような、本当の本当に技術が好きな方々と自分との間には埋めがたい差があります。CTOという職務に対して、技術力が足りないと思っていました。
しかし、CTOがいないエンジニア組織に後からCTOを入れることは難しい。創業初期にいい組織を作れなければ、途中から入ったCTOがいびつな組織を立て直すのは至難の業です。だからまずは私がCTOとなって、優れたプロダクトを中心に優秀なエンジニアからなる組織を作り、そして将来的により優れたCTOを迎えいれようと覚悟を決めました。
通常、退任を見据えてCTOになるということはあまりないと思います。
それでも私の覚悟がぶれることがなかったのは、「ミッションを実現するために、それぞれのフェーズで必要なリーダーは変わる。その時々に応じて役割を柔軟に変更させることが、急成長企業には不可欠である。」ということが布川と私の共通認識だったからです。
この価値観は現在も経営陣全員と認識を揃えており、それぞれが覚悟を持ちながら役割を全うしてくれていると感じます。
――どのようなことを意識してエンジニア組織を作ってきたのでしょうか。
どんなIT企業も、開発とセールスの両方が強くないとうまくいかないと考えています。しかし、最初にセールスチームが強い発言権を持つと、後から開発チームが強くなることはまずないでしょう。その場合は開発が弱くなり、プロダクトの弱さに直結します。一時的にセールスの強さで補えるかもしれませんが、プロダクトはマーケットに合わないままになります。だからこそ、全社のカルチャーとしてプロダクトを中心にした会社を作る必要がありました。
結果として、非常にうまくいったと自負しています。創業当初からエンジニアとセールスをはじめすべての職種で採用基準をかなり厳しく敷いて、それを守り切りました。どれほど技術レベルが高くても、ビジネスへの関心と、お客様に寄り添い課題解決するというマインドがない人は評価していません。それ以外にも、ワークサンプルテストや、リファレンスチェック、構造化面接を実施し、モチベーショングラフも書いてもらい、本気で仲間探しをしてきました。
そのための取捨選択として、正社員エンジニア採用のスピード感は犠牲にしたところがあります。採用のハードルが高かったので、私の15年来の友人が入社してくれるまで、最初の1年間はひとりも採用できませんでした。僕と、15年来の友人など外部委託のメンバーでやり切りました。
それでも採用ハードルを下げなかったのは、そもそも、組織に優秀なエンジニアがいないと、優秀なエンジニアを採用できないというジレンマがあるからです。だからこそ、 本当に日本一の開発組織を作るための初期メンバーとして最高と言える方しか採用しないという方針を守り抜き、少しずつ優秀なエンジニアに入ってもらえるようになりました。
CTO退任を決めたものの、次の仕事は見えていなかった
――そんな中、CTO退任を決めたきっかけやタイミングを教えてください。
2022年の夏頃で、ちょうどシリーズAが終わった頃でした。お客様が急激に増加する中で、データベース技術を突き詰めるなど、深く専門性の高い技術がなければ解決できない課題が続々と出てきたんです。
一般の人でも、大規模なデータを簡単に扱えて分析できるプロダクトとして成長させ、それを強みにするためには、開発チームを正しく導けるリーダーが必要です。また、今後グローバル展開を見据えた上で、ビジネスで使える英語力もマストになります。私自身の能力の限界が、おそらく1〜2年で訪れると直感しました。
外向けにも「CTO候補」として採用活動を進めており、ちょうど現CTOである伊藤が受けてくれていたので、「CTOを見据えてのEM候補としてオファーを出させてほしい」という話をしていました。
――CTOを退任するというのは大きな決断だと思います。迷いや戸惑いはありませんでしたか。
前職でも開発のマネージャーをすることはありましたが、CTOとして組織を大きくしていくのはログラスが初めてでした。私自身がたくさん学びながら、CTOの仕事ができるようになっていきました。
ところが退任すると、これまで培ってきたスペシャリティを発揮できなくなります。それに対して怖いという思いもありましたが、伊藤との面接などを通じて、「この方がCTOを担っていくべきだ」と確信したので、決めました。
伊藤には、2年ほどをかけてCTOの仕事を託していきました。その結果、自分の仕事の8割ほどがなくなります。CTOを退任すれば、取締役としてもっと抽象的な活動を求められます。布川からは会社が非連続に伸びる領域なら何をやってもいい、と言われましたが、しばらくはその道が見つかりませんでした。
自分のバリューが発揮できなくなり、「ログラスをやめてもいい」と思ったこともありました。「私はログラスに貢献できる価値がないのかもしれない」と無力感を覚え、代表との1 on 1で2度泣いたことがあります。
悩んでいる最中、思いつく限りの方法をリストアップして検証しました。いろいろな人と飲みにいったり、半日くらい会社をサボってみたり(笑)。注力テーマを見つけるまでがとにかく大変でしたが、その中で筋がいいと思えたのは、ログラスのプロダクトを他の会社と連携して売っていくこと。ログラスだけではできないことも、他社が機能や技術を持っていれば作らなくても実現できる。プロダクト連携やアライアンスを進めていこうと考えました。
最終的には、緊急度と重要度のマトリックスを作り、俯瞰してみて確信しました。社員の99%は、この四半期のこと――つまり重要度も緊急度も高い課題に取り組んでいます。一方、取締役としてフォーカスするのは、3〜5年先を見据えた取り組みです。私は、重要度が高くて緊急度が低いものに意志を持って取り組むべきだったのです。同じ考え方で、5年後を見据えた新卒採用も立ち上げました。
――1年ほどで権限委譲していったとのことでしたが、難しかったポイントはありましたか。
CTOの仕事はどんどん渡していけたのですが、私と伊藤との関係性に課題がありました。当時はまだ人間対人間として親しいわけではなく、密には連携を取れていない実感がありました。
そこで、弊社所属のエンジニアである松岡にシステムコーチングという手法で2対1のコーチングを実施してもらい、伊藤と私でお互いの心のうちを開示していきました。
伊藤は、「これまでの組織のカルチャーを維持してスケールしたい」という思いを持っていました。一方で私は、私の考えを踏襲してもらいたいわけではなく、伊藤がこれまでに経験してきた開発組織のDNAを入れてほしいと思っていました。伊藤の「こうあるべき」を押し出してほしいと思っていたんです。コーチングを2回、3回と重ねるうちに本音が出るようになり、お互いの理解が深まり、伊藤のやり方も変わっていきました。
――伊藤さんがCTOとして適任であると考えたのはどのような部分からですか。
彼自身のエンジニアリング能力が非常に高く、社内でもトップクラスです。抽象的な課題も、構造化して捉え、ロードマップを引いて進めていけます。また、「エンジニア組織の中でカルチャーを正しく作らないと、よいプロダクトはできない」という考えを強く持っています。加えて、ゴールドマンサックスという大きな企業でグローバルな組織を経験しており、英語も堪能で申し分がありません。
中でも特に心を打たれたのが、前職のミッションを驚くほど魅力的に語れたこと。会社の事業の素晴らしさと、さらにその上にあるエンジニアの役割を接続して魅力的に語れる人物であることが、とても強い決め手になりました。
ログラスのマーケットをグローバルに広げていくために
――これからのログラスをどうしていきたいですか? また、その中で坂本さんはどのような役割を担っていくのでしょうか。
ログラスは、「良い景気を作ろう。」をミッションに、日本の経営判断を向上させるためのプロダクト開発を行っています。日本ではまだソフトウエアに経営や会計を任せるのが当たり前になっておらず、エクセルやスプレッドシートが使われています。「日本で経営するなら、ログラスのプロダクトを使うのが当たり前」という世の中にしたい。経営を単に「うまくできる」だけでなく、人間よりもより良い判断ができるプロダクトにアップデートしていきます。
さらに、マーケットをグローバルに広げていきます。CTOの伊藤のように、グローバルな市場で経験のある人材を採用し、まずはアジア圏から進出していきます。経営管理や管理会計の分野は、国ごとの法律の違いによる障壁が低いので、どこでもやっていけると考えています。
私自身は、アライアンスと新卒採用、カルチャーメイキングを担っていくことになります。アライアンスでは、自社だけではなかなか会えないようなお客様にも会わせていただき、キャズムを超えたい。新卒採用では、経営幹部候補になりうる人たちを採用して、日本を強くするリーダーを育成していきます。
ログラスはこれまで熱量が高いメンバーによって作られた強固なカルチャーに支えられてきましたが、社員数が増えた今、それを守り続けることの難易度は上がっています。だからこそ、今以上に熱量を高め、会社が取り組んでいる内容を理解してもらい、強い思いを持って熱狂してもらうカルチャーを作っていきたい。強い熱量がないと、世の中の当たり前を作るような奇跡は起こせないと考えています。カルチャーメイキングにおいては、「社員にとって、人生の黄金の1ページを刻めるような会社を作る」のが私の役割です。
執筆:栃尾江美