短期間で仲間と共にプロダクトを創り上げるハッカソン。IT業界ではすっかり定着しましたが、実際に参加したことがあるエンジニアとなると、それほど多くないかもしれません。技術力が足りないかも、アイデアを出すのが大変そう、初対面の人とチームを組むのが怖い、といろいろ理由は考えられますが、そんなハッカソンに年間20回も参加することで新しい技術を研鑽し続けたエンジニアがいます。
小川博教さんは現在、医療現場のオペレーションの刷新をミッションに掲げる株式会社OPERe(オペリ)のCTOとしてプロダクト開発を指揮しています。それ以前はロボットベンチャーのGROOVE Xや日本精工のロボットエンジニアとして、ハードウェアおよびソフトウェアの両面で開発を手がけてきました。
仕事でロボット開発を手がける一方、小川さんは趣味としてのモノづくりにも取り組み、メイカーフェアに出展したり、ハッカソンに参加したりしてきました。公私にわたる積み重ねにより「ゼロからイチを生み出す開発力」を身に付けることができ、それが現在のキャリアにも結び付いていると小川さんは言います。ロボットエンジニアから医療業界向けソフトウェアサービスのCTOへ異なる事業ドメインへのキャリアチェンジを果たした理由とともに、これまでの歩みを振り返ってもらいました。
- 挑戦しがいのあるものが目の前にあると楽しくなる
- 製品を市場に投入する学びとスタートアップでの新しい経験
- 新しい技術と人に出会うハッカソンは効率よい学びの手段
- ゼロイチの課題解決に役立つ「型」を自分の中に作る
- 学ぶことが多い中でアジャイルにプロダクトを開発する
挑戦しがいのあるものが目の前にあると楽しくなる
── 小川さんは現在、医療現場向けのWebサービスを提供するスタートアップ「OPERe」で、CTOおよびソフトウェアエンジニアとしてプロダクト開発に取り組まれていますが、もともとはロボットエンジニアでした。OPEReに入社するまでの経歴を簡単に教えていただけますか。
小川 電気通信大学の大学院から2007年に日本精工(NSK)に入社し、サービスロボットを開発した後、2017年にGROOVE Xに転職しました。GROOVE Xでは「LOVOT」の開発に携わりましたが、知人経由でOPEReを手伝ってほしいと頼まれ、業務委託で開発を支援していました。そこで(OPEReの)社長の澤田やCMOの小迫から「本格的にコミットしてほしい」と誘われて、2023年1月にCTOに就任しました。
OPEReでは、これまでに3つのプロダクトを開発してきました。現在は、更なるプロダクトの開発と、エンジニア組織の成長拡大が僕のミッションです。
── 家庭用の掃除機ロボやレストランの搬送ロボなど、ロボットは現実においても身近な存在になってきましたが、ロボットエンジニアというキャリアはまだ珍しいように思います。いつごろ興味を持って、どのように歩んできたのでしょうか。
小川 中学生の頃からエンジニアに興味を持ち、高校進学にあたっていろいろと調べるなかで高等専門学校の存在を知り、木更津高専に進みました。その頃はロボット作りを明確に目指していたわけではありませんが、電気回路や機械工学、さらにプログラミングなど幅広く学ぶことができるということで電子制御工学科を選びました。
── やはり高専在学中はロボコンに出場されたのでしょうか?
小川 ロボコンにも出ましたが、ほかにIVRCというVR作品のコンテストにも参加しました。ロボコンは地区大会止まりでしたが、IVRCはけっこういいところまで行けました。この2つが、その後の人生を決めたのかもしれません。もっとロボットやVRをやりたいという方向性が明確になりましたから。
高専卒業後は電気通信大学に編入して、VRのなかでも触覚を主に研究しながら、IVRCの運営にも関わるようになりました。大学3年次にはIVRCの実行委員になったものの、やっぱり自分で作る方が好きだったので、もう一度チームを作って参加する側に戻りました。ロボットの方は、機械学会が主催していた大道芸ロボットコンテストに参加していました。
▶ 第3回ロボットグランプリ - 日本機械学会ロボメカ部門 ニュースレター No.24より
── 学生の頃から課外活動に熱心というか、さまざまなことに挑戦されていたんですね。
小川 目の前に課題というか、挑戦しがいのあるものが出てくると楽しくなってくるんですよね。研究室でも自分以外の研究テーマの手伝いもしていて、先生には「頼まれるとちょっと嫌な顔をするけど、結局手伝ってくれる」と言われてました(笑)。
卒業後は大学院に進み、修士課程は情報システム学という情報学系の専攻でしたが、博士課程で機械工学に戻りました。実は指導教官が両方の分野で研究室を持っていたので、専攻は変わっても研究室は同じままだったんですね。ハードウェアもソフトウェアも学ぶことができて、面白い経験になりました。
製品を市場に投入する学びとスタートアップでの新しい経験
── 学生のときにロボットエンジニアという方向性が明確になったとのことですが、大学院を卒業してNSKに就職したことで、その夢を実現されたんですね。
小川 NSKでは、サービスロボットの研究開発をしていました。NSKの主力製品はベアリングをはじめとした機械部品で、今後ロボットが社会に普及していくと機械部品の需要も増えるだろうと考えて、どういった要素部品が必要になるかをリサーチするためにロボット開発を行っていました。
当時のNSK社内にはメカ(機械)のエレキ(電気回路)のエンジニアはたくさんいましたが、ソフトウェアエンジニアはあまりおらず、それも組み込み系がメインで、OSが必要な総合的なソフトウェア制御を学んだ人がいなかったので、私はソフトウェアをメインで担当していました。とはいえロボット開発はハードとソフトを明確に切り分けられるものではありませんし、開発部署もそんなに人がいたわけではないので、必要なことは何でもやっていました。
そうやって開発していたロボットですが、最終的に病院などで人を誘導するガイドロボットとして製品化されました。開発だけでなく生産まで関わり、ISOなどの認証に則って製品管理をしたり、サービスロボットの安全認証規格を取得したり、普通の開発では体験できないことがいろいろとありました。
それまで研究のため「短期間だけ動けばよい」「検証できればよい」というレベルでモノづくりしていましたが、市場に製品を投入するにはいろいろな観点で考えなければならず、とても勉強になりました。
── NSKからロボットベンチャーのGROOVE Xに転職されました。
小川 ガイドロボットの開発がひと段落したタイミングで声を掛けていただきました。GROOVE Xは林要が創業してから、まだ1年しかたっていない頃で、「謎のロボットを開発している」くらいの情報しか表に出ていなかったんですね。そこに純粋にワクワクしたのが、転職の最大の動機でした。
── 大企業から小さなスタートアップに移ったことで、違いも大きかったのではないでしょうか。
小川 GROOVE Xは、NSKといろんな点が違いました。人の面ではロボットエンジニアだけでなく、Web系のエンジニアだったり、おもちゃメーカー出身のエンジニアだったり、ゲーム開発者だったり、さまざまな人材がいたのが面白かったですね。ダンサーだった人もいました。いろんなバックグラウンドの人と知り合えたので、学ぶことはすごく大きかったです。
モノづくりの点でも違いがありました。NSKでは全てを計画的に進める必要がありましたが、GROOVE Xは会社の方針としてスクラムを導入していて、短期間で細かく改良しながら開発を進めていました。もちろん、ハードウェアはソフトウェアのように短期間のスプリントというサイクルが合わない場合もあるので、そういうところは調整しながらですが。
── GROOVE Xでは、NHKのテレビ番組『魔改造の夜』にも出演されていましたね。
小川 『魔改造の夜』は期間とテーマが決まっていて、ハッカソンのようで楽しかったですね。第1回の放送に出演された“T社”の方の紹介だったのですが、その方ともハッカソンで知り合いました。社内の広報や営業といったいろんな担当者と気軽にコミュニケーションが取れるのも“GX”のよかったところで、そのおかげで番組への出演もスムーズにいきました。
▶ クマちゃん瓦割り:The Bears Groove Night(GX) - 魔改造の夜 - NHK
新しい技術と人に出会うハッカソンは効率よい学びの手段
── ハッカソンにはいつごろからどのくらい参加しているのでしょうか。
小川 ハッカソンにはNSKにいた頃から参加していて、それを通じていろんな方と知り合うことができました。 中でも東芝の方とはかなり仲良くなって、「つくるラボ」というサークルを作って一緒にハッカソンに参加したり、メイカーフェアに出展したりしました。
▶ Make: Japan | 東芝にメイカースペースを作りたいからハッカソンにでまくったメイカーたちの未来 ― 「つくるラボ」メンバーインタビュー
ハッカソンには特に力を入れていて、サークル全体で多いときでは年に30回ほど参加していました。僕自身は多いときで毎月2回くらい、年間では20回ですね。
── 年間で20回というのは驚きです。そんなに参加したのは、なぜですか?
小川 それだけハッカソンに没頭したのは、純粋に新しい技術に触れることが楽しかったからなんです。ハッカソンって、毎年やっているものでも、毎回テーマが変わるじゃないですか。だから、新しいテーマとの出会いは一期一会で、その機会を逃したら二度と接することがない技術かもしれない。そう考えたら、参加しないのはもったいないと考えちゃうんです。
それに世の中の技術はどんどん進んでいるので、エンジニアは常に学び続けないといけない。僕にとってハッカソンへの参加は、趣味であると同時に、学ぶ手段のひとつです。書籍を読んだりセミナーを受講したりいろいろな学び方がありますが、ハッカソンってかなり効率のいい方法だと思うんです。
ハッカソンによっては、テーマとなる技術やサービスが用意されていることがあって、その場合は運営側がアドバイザー役のエンジニアを準備していることが多いんです。そういう時は、新しい技術について遠慮なく聞くことができます。
── ハンズオンの研修みたいな感じなんですね。ハッカソンというとアウトプットする場と思っていましたが、参加者にとってはインプットのよい機会でもあるんですね。
小川 新しい技術を学ぶには、とてもよい機会でした。そういえば、最初にOPEReに関わることになったのもハッカソンがきっかけかもしれません。いくつかのハッカソンでLINE APIを使った作品を作ったことがあったので、LINE株式会社からLINE API Expertに認定されたんです。
ちょうどOPEReを創業した澤田がサービスでLINEの利用を検討していて、LINE APIに詳しいエンジニアを探していたことから、僕が紹介されたという経緯だったんです。さらにEpson Hack Trekで知ったEpson Connect APIも組み込むことになり、これはエプソン様との資本業務提携につながったと考えています。
▶ Epson ConnectとLINEアプリを連携!看護師と患者の新しく心地よいコミュニケーション手段とは
── エンジニアの転職においてリファラル採用が増えていますが、ハッカソンも人のつながりだけでなく技術認定にもつながり、転職のきっかけにもなるんですね。
小川 ハッカソンを通じた人との出会いには、本当に恵まれました。かといって、誰にでも勧められるものでもないとは思います。知り合いとチームを組んでエントリーするのではなく、個人で参加してその場でチームを作るようなハッカソンだと、コミュニケーションが苦手な人には厳しいですよね。僕は得意というわけではありませんが、苦にはならないタイプなので。
とはいえ、ハッカソンは仕事と違って、失敗してもいいじゃないですか。もちろんうまくいかないと悔しいし、嫌な思い出になってしまうかもしれません。だけど失敗しても、それ以上のペナルティはない。だから、恥ずかしがったり気負ったりせずに、気軽に参加するのがいいと思います。
ゼロイチの課題解決に役立つ「型」を自分の中に作る
── 新しい技術や人との出会いのほかに、ハッカソンに参加し続けたことで得られたものは何でしょう。
小川 何らかの課題に対して、解決手段の引き出しを増やすことができたと思います。実は、僕はアイデアを出すこと自体は得意じゃないんですよ。でも、誰かが思いついたアイデアに対して、どうやったら実現できるのかを考えるのは得意です。複数の手段を考案して、その時に一番良いと思われるものを選択する課題解決力を、ハッカソンで培うことができたと思っています。
── ハッカソンでは、その場で与えられたテーマに対して短時間でアイデアを出して、実装するところまでをやりきる必要がありますね。スタートアップ企業に必要な「ゼロからイチを生み出す開発力」も、そういったところで鍛えることができたんでしょうね。
小川 とはいえ、最初の頃は試行錯誤ばかりでした。ハッカソンでの失敗っていろんなパターンがあると思うんですが、失敗したときには「なぜだろう」と振り返ります。そして次のハッカソンでは、以前にダメだったパターンを「これはやらないようにしよう」と潰していきました。
その結果、今では自分の中に「型」みたいなものができてきた感じがあります。
── ゼロイチ開発の型とも言えそうですね。詳しく教えてください。
小川 ひとつは、アイデアに対する実現方法を考える際に、解決にあたっての検証ポイントもあらかじめ考えておくことです。「そこをクリアできていればうまくいく」というポイントを明確にしておくことで、実装フェーズにおいて細部まで作り込まなくても、アイデアの実効性を検証できます。
もうひとつは、できるだけシンプルに考えることです。アイデアも実装方法も、複雑なものは時間が掛かりがちだし、トラブルが起きやすい。仕事における開発もシンプルなものほど安定稼働しやすいのですが、特にハッカソンにおいてシンプルであることはすごく大事な要素です。
「ゼロイチ」というと、何か特別な能力のように思われるかもしれませんが、要はいろんなアイデアを出して、それを素早く形にして検証する、ということを繰り返しているだけです。その点においても、検証のポイントを考えておくことと、できるだけシンプルに考えることは、有効な手法だと思います。
── エンジニアによっては、技術に触れること自体が目的化して、あえて難しい技術を選択したり、複雑な仕組みを考案したりすることがあります。小川さんは、常に「課題解決」が念頭にあるんですね。
小川 思考が課題解決に向かうのは、ひょっとすると生まれついてのものかもしれません。一番古い記憶は、小学校の図工の授業でのことです。「ペン立て」を作る課題が出たんですが、僕はそのとき「車」が作りたくなったんです。でも授業なので、ただ車を作ったら叱られる。
だから「ペン立ての機能を持った車の模型」を作ればいいんじゃないかと考えたんです。 オープンカーにして、人が乗る部分にペンを立てられるようにして、トランクに消しゴムを収納できるようにした。それが皆に褒められたことをよく覚えています。
── それは確かによい課題解決ですね。
小川 他にもモノづくりでは、夏休みの自由研究でリニアモーターカーの模型を磁石とコイルで作ったことがあります。電池の磁力では車体を浮かせることが難しいので、水中に置くことで浮力で見かけの重量を減らすなどの工夫をして、浮上もわずかで走行というより前後に少し移動するだけでしたが、ちゃんと動くものを作りきることができました。
だから、何か特別な体験があってエンジニアになるモチベーションを獲得したというより、子どもの頃から課題を解決することが面白くていろいろやってきたら、結果的に今の状況にたどり着いたんです。
学ぶことが多い中でアジャイルにプロダクトを開発する
── 現職についてお聞きします。ハードウェアも手がけるロボットエンジニアから、ソフトウェア専門のエンジニアへの転身。事業領域もこれまでと異なる医療向けサービス。かつ経営やマネジメントの視点も求められるCTOと、かなり大きなキャリアチェンジになりますね。
小川 そこに葛藤がなかったと言えばウソになります。僕自身はソフトウェアもある程度の技術力があると思いますが、あくまでもハードウェアの中に入っているものとしてで、Webサービスを開発してリリースした経験はありません。その点で学ばなければならないところは多いです。
一方、業務委託で手伝っていた頃はまだプロダクトの姿形もなく、エンジニアも僕ひとりでした。その上で澤田が望む機能を実装して、新しい価値を提供していかなければならない。そこで100パーセントのものを作ろうとするのではなくて、60パーセントや70パーセントくらいの完成度でも動くものを作って市場に出し、その反応を見て改善していくということをうまくやることができました。
そういうアジャイルな開発の考え方と、それを実際に行うことができるところを、澤田に評価してもらえたのだと思います。
── Webサービスの開発経験がないなかで、スタートアップでSaaSプロダクトの立ち上げに関わるのは、あらためてすごい挑戦ですね。
小川 スタートアップにおけるプロダクト開発という責任はありますが、それよりもプロトタイプを開発する、言わば「ゼロイチのモノづくり」にワクワクする気持ちがあります。ビジネスにおいてはゼロイチだけでなく、1のものを10とか100にするところもすごく大事だと思うんですが、僕自身は最初のゼロイチが好きだという自覚はあります。
これまでのキャリアを振り返ってみても、そうしたプロトタイプを作り上げてから、次のステージに移ってきたように思います。OPEReでは、もうすぐ3つ目のプロダクトがリリースされます。短期間かつ少数のエンジニアでこれだけの規模の開発を実現できたのも、ハッカソンの経験から学んだ「シンプルに考える」に徹して、仮説・実装・検証のサイクルを素早く回すことができたからです。
── 現在の課題は何だと思いますか。
小川 開発においては、これまでいくつかのプロダクトを作ったものの、ビジネスとして考えた場合、まだまだこれから作っていかなければならないものがたくさんあります。
それに加えて、今後はCTOとしてエンジニアリング組織も作っていかないといけない。今はまだエンジニアが5名と少ないですが、人はもっと増やしたいし、職場としてもエンジニアが働きやすく成長できる環境作りをしていかないといけません。
正直なところ、後者についてはどういったことをやっていけばよいのか、まだまだ考えきれていません。これが、OPEReにおける僕自身の大きな挑戦だと思っています。
取材・構成:青山 祐輔
編集・制作:はてな編集部
写真提供:小川さん
小川 博教(おがわ・ひろのり)
大学で制御工学を学び、就職後は日本精工にて案内ロボットの開発、GROOVE XにてLOVOTの開発に従事。2023年1月、業務委託で開発支援をしていた株式会社OPERe(オペリ)のCTOに就任し、現職。プライベートでは、複数の製造業社員によるMakerサークル「つくるラボ」に所属し、ハッカソンやメイカーイベントなどに多数参加。作品のひとつ「撮るだけユーチューバー」はネットでも話題となった。