近藤宇智朗(@udzura)さんはGMOペパボのシニアプリンシパルエンジニアとして技術を磨き、Rubyコミュニティに参加してきた経験も生かしながら、自走できるソフトウェアエンジニアを育成する「大名エンジニアカレッジ」を福岡で立ち上げました。そこで思わぬ苦戦に直面したことで、あらためて「ユーザーファースト」の大切さを認識したと語ります。それは図らずも、高校生のころ父親からかけられた言葉につながる経験でした。
- 転職活動をきっかけとしたユーザーファーストへの気付き
- エンジニア育成を目指した「大名エンジニアカレッジ」とは
- どんなよい目標もユーザーが成長しなければ意味がない
- なぜ福岡は「エンジニアらしく暮らせる街」なのか?
- 父の言葉から立ち返った「ユーザーファースト」の大切さ
転職活動をきっかけとしたユーザーファーストへの気付き
── 近藤さんは長く技術のスペシャリスト、いわゆるIC(Individual Contributor)としてのキャリアを築かれてきましたが、今年(2022年)の春からゲーム配信のミラティブに移られています。かなり大きな変化に感じるのですが、転職のきっかけは何でしたか?
近藤 きっかけということも特にないのですが、前職には8年というかなり長い期間いたので、漠然とですが新しい技術や業務領域にチャレンジしたい気持ちがありました。大学からの友人がフェイスブックで転職報告していたのを見て、自分もちょっと他社を受けてみようかなと考えたのが2021年のことです。
── ということは転職活動を始めてすぐ今の会社に決まったわけでもないんですね。
近藤 最初は「いいお話があれば」くらいのレベルで就職活動を始めて、気になった会社をいくつか受けてみました。そのうちの1社で、自分がこれまでやってきたことや転職にあたっての軸などに関して突き詰めた質問をされて、キャリアに対しての認識の甘さなどを実感したのは一つの転機でした。転職にあたって「知り合いがいて、楽しそうに働いている会社」くらいの軸しかなかったのですが、そういう面接を続けても意味がないので、それを機に「自分が本当にしたいことは何か?」を考え直しました。
── 近藤さんがあらためて気づいた「本当にしたいこと」は何だったのでしょう?
近藤 私はエンジニアとして基盤部門にかなり長くいたので、ユーザーからちょっと遠ざかっていた面があります。ユーザーが見えなくなって失敗した経験もあって、転職するのならそこを修行し直すことができる職場がよいのではと考え、ユーザーファーストを押し出している企業に絞って転職活動を進めることにしました。今でも技術が先に来てしまう部分が自分にはあるので、そこを変えたいんですよね。
── ユーザーが見えなくて失敗するというのは、どういうことですか?
近藤 例えば「こんな新技術があるから、これを使ってユーザーに何かできないか」とか「ある新技術を使うことを差別化要因にできないか」といった発想でサービスを立ち上げてもうまくいかないことがありますよね。サービスは動いたらおしまいではなく、ユーザーに届いてようやく始まりです。私はちゃんと届けて、届けた後まで向き合う経験や、ユーザーの声を拾って分析してフィードバックを回していく感覚を、あまり身に付けないまま来てしまったと思い返しました。
一方で、ユーザーファーストをすごく実感できたこともあって、「大名エンジニアカレッジ」というプログラミングスクールの立ち上げに携わり、ひたすらもがいて、授業を作り上げていった経験は大切なものだと考えています。楽しかったこともすごく印象に残っていて、それまでのキャリアを自分なりに振り返ったときにも一番上に出てきました。
── 大名エンジニアカレッジは第一期が2019年6月から9月に開催されていますが、スポット的な取り組みですし、技術的なチャレンジもそれほどありませんよね。それでも「一番上」だったのでしょうか?
近藤 大名エンジニアカレッジの経験は確かにわずか半年で、カリキュラムを考える際にはエンジニアとしての経験が役に立ちましたが、直接のエンジニアリング、つまり手を動かしてコードを書くことはほとんどありませんでした。しかし、ユーザーのニーズやリアクションをもとに試行錯誤しながら事業に携わることができて、すごく貴重な機会になりました。この体験は大事にしたいと思っています。
── ユーザーファーストについては以前から近藤さんの中でくすぶっていたのでしょうか?
近藤 これまでのキャリアでもOSSコミュニティに貢献したり、技術的なことはすごくやれていたと思うんです。好きだったし、自由だった。ですが、それだけでは自分が本当にやりたいことには足りないとも感じていました。モノ作りできる人は、自分の好きなモノを自分の好きなように作ることができます。ある意味、自分で完結することもできます。
だけど、本当にそれでいいのか。ちゃんと人の役に立つモノを作って、世の中に価値を問うことができないとダメなんじゃないか。世の中に何かしら価値観を問えるモノ作りをするには、やっぱりまずユーザーのこと、必要としてくれる人のことを知らないとできない。転職活動をして、自分自身に向き合ってみたことで、根っこのところでは潜在的にずっとそう思っていたんだなと気づきました。
そこに大名エンジニアカレッジでの経験がつながったんです。
エンジニア育成を目指した「大名エンジニアカレッジ」とは
── それでは近藤さんがそこまで強く影響を受けた「大名エンジニアカレッジ」の取り組みについて詳しく教えてください。まず、どういったきっかけで始まったプロジェクトなのでしょうか?
近藤 そもそも福岡市として「官民共働でスタートアップを応援していく」「よいエンジニアを集め、増やす」ということを推進しています。スタートアップ支援の具体策として福岡市といくつかの企業が共同で、大名小学校の跡地を利用した「Fukuoka Growth Next(FGN)」というインキュベーション施設を作ることになりました。
さらに施設だけではなく、コンテンツも提供しなければ意味がありません。そこで、参加している各企業とのミートアップを開いたり著名なエンジニアを招いたりといったいろいろなアイデアが出ました。大名エンジニアカレッジも「ソフトウェアエンジニアになりたい人が、プログラミングできるようになるまでのブートキャンプはどうだろう?」という提案が始まりです。
── エンジニアになりたい人にフォーカスしたのはなぜでしょう?
近藤 福岡におけるスタートアップの現状を考えたときに、一番の問題はそもそもソフトウェアエンジニアが少ないことです。そこで、エンジニアになりたいと希望している人にプログラミングの力を付けてもらい、そしてスタートアップに参加してもらう。つまり、エンジニアになりたい方々とエンジニアを増やしたい企業や福岡市、両方のニーズをくみ取った形です。
── 具体的にはどう進めたのでしょうか。
近藤 私がやったことはリソースの手配と、カリキュラムの策定ですね。リソースのうちヒト、つまり講師については五十嵐邦明(@igaiga555)さんにお願いしつつ、同僚やFukuoka Growth Nextのスタッフにもお手伝いをお願いしました。会場は、FGNという公共の施設をそのまま使えたので有利でした。一番大事なのはカリキュラム、つまり「何を教えるか」だと思っていました。
私も一時期、GMOペパボで第二新卒向けの社内研修「ペパボカレッジ」を担当していました。中原淳先生の『研修開発入門』などを読んで立ち上げを一通りやったので、カリキュラムの作り方などもある程度は知っていました。ただ企業内の研修と、お金をいただいてやるスクールでは全然違います。そのギャップを埋めるため、Rubyコミュニティから五十嵐さんに顧問として来てもらい、相談しながら授業の座組みを作り、講義も行っていただきました。
まずRubyの基礎から始め、GitHubを使ってデプロイの仕方を覚えていき、最後の課題としてWebサービスを自分で作って公開する、という感じのカリキュラムを作っていきました。
── このカレッジではどんなところを目指していたのでしょう?
近藤 最初から明確に「自走できるエンジニアを育てること」を目指していました。いわゆる「プログラミングスクール」に対する不満でもあるのですが、コミュニティの中に入っていろいろ学び取り、自分で考え、問題を探していけるエンジニアとしての素質を持った人を育てられないかなと常々思っており、それを具現化させたのが大名エンジニアカレッジということです。
ただ単に技術を身に付けて企業側の需要を満たすだけでなく、エンジニアリングについて学び、人生を豊かにしてもらいたいという狙いもありました。エンジニアから評価されている「フィヨルドブートキャンプ」や「42Tokyo」といったいくつかのスクールでも、エンジニアとしてどう生きるかという基本的なところをすごく大切にする面があると思っています。
ただ「飛びながら飛行機を作る」ようなもので、エンジンと座席ができたからとりあえず飛ばしてみましょう、という感じで第一期の募集を開始しました。
▶ エンジニアブートキャンププログラム「大名エンジニアカレッジ」を始めます - Pepabo Tech Portal
どんなよい目標もユーザーが成長しなければ意味がない
── そんな用意をした大名エンジニアカレッジ第一期も、始めてみるとかなり苦戦されたそうですね。
近藤 そうなんですよ。エンジニアとしての素養を身に付けることをゴールに、コミュニティっぽいノリで技術を教え始めたんですが、参加率がどんどん下がっていってしまいました。平日の夜に開催していたことも相まって、半分くらいになってしまって……。
── どのように解決していったのでしょうか。
近藤 懇親会という名目でとにかく「みんな来てください」といって、お酒も交えながらユーザーインタビューのように「どこで苦しんでいますか?」と本音を聞いてみました。そうすると「私がここにいては申し訳ない」みたいなことを言われたんですね。申し訳ないなんてことはないんですよ。そもそもお金をいただいているんですから。
申し訳ないと思う気持ちの裏には、自分が欲しいものを手に入れられない悔しさがあるのかなと推測しました。私自身もよく、目指しているところに到達できないと「自分はだめだ、周りに申し訳ない」と卑屈な気持ちになってしまうことがあります。そういう気持ちは克服しなければいけないと思うので、まずは何か一つ成功体験を積めればということを考えて、目標を見直しました。
当初は、あまりにも高い目標を提示してしまって、その間のステップが見えにくかったのかもしれないと思っています。高い目標についてこれる人だけではなく、到達できそうなところにゴールを置いて、達成感を得られるように設計しようと考えました。そうすれば参加者の方も何かを持ち帰れるし、その成功体験が次につながったりするかなと思ったんですね。
── 具体的にはどう軌道修正しましたか?
近藤 まずGitの操作を学んでもらい、GitHubでプルリクエストが出せることを目標にしました。それができればカリキュラム後半のチーム学習で、チームで作っているソースコードに何らかの貢献ができます。Typoの修正でも何でもよいので、何かしら参加できるチケットを渡そうという発想になりました。並行してRubyプログラミングの座学なども進め、最後のチーム開発実習では参加した3チームとも、みんなが参加する形で動くWebサービスをリリースするという目標を達成できました。
スクールのカリキュラムは、コードとは違ってエンジニアリングではありません。作っても意図した通りにやってもらえるとは限らないところが、けっこう悩ましかったですね。参加している皆さんの進み方やモチベーションを見ながら出すモノを少しずつ変えていくことは、広い意味でWebサービスに近いところもあり、最近でいうBizDev的な業務に近いのかもしれませんが、いい経験になりました。
なぜ福岡は「エンジニアらしく暮らせる街」なのか?
── お話をうかがっていて、福岡のソフトウェアエンジニアのコミュニティをベースにした地域らしい取り組みだと感じましたが、そもそも近藤さんは豊橋市出身で大学からは東京ですよね。どのようなきっかけで福岡に移住したのでしょうか?
近藤 子供ができたタイミングで東京を離れようかという話になりました。妻が福岡出身というのもありますが、先に福岡に移住していたエンジニアに話を聞くと、福岡がかなりエンジニアらしく暮らせる街だと分かって、移住先の有力な候補になりました。それが2010年ごろのことです。まだ福岡に拠点を置く会社は少なかったのですが、その数少ない候補からGMOペパボを受けました。
ちょうどペパボで技術者向けの評価制度と「技術基盤整備エンジニア」が導入されたころで、当時の技術責任者だった宮下剛輔(mizzy )さんの紹介記事に感銘を受けたこともあり、勉強会で「福岡にポジションはありませんか?」と突撃したりもしていました。
── さきほど出た「エンジニアらしく暮らせる街」とはどういうことでしょうか。
近藤 一番大きいのは、勉強会やエンジニアのコミュニティが存在することです。職場だけでなく外の人ともつながれることは、エンジニアとして大事だと思います。私も一人でRubyを書いていて、寂しかったので東京Ruby会議に参加するようになりました。そこで「Rubyを好きな人がこんなにいるんだ」ということに驚き、「プログラミングって一人でするものじゃないんだな」と実感しました。
福岡でもRubyに限らず、GoやPHP、AWSなどいろんな勉強会があり、それぞれが“福岡エンジニアコミュニティ”の支部みたいな、緩いつながりもあります。参加しているエンジニアもけっこう共通していて、どこか一つのコミュニティに入り込めば、あとはどんどん人のつながりを介してつながっていけます。
── それでもまったく知らないところに移住することに不安はなかったでしょうか?
近藤 2013年の冬に移住した段階では知り合いも2人くらいでしたが、「とりあえず行けば何とかなるだろう、勉強会もあるし」みたいなノリで引っ越しました。確かに「懇親会ぼっち」みたいな時期もありましたが、しつこく参加していくうちに徐々に顔見知りも増えてきました。特に大きかったのは2014年1月から「Fukuoka.rb」を開催したことです。私を含めた何人かが中心になって、月2回程度の無理をしないペースで県外からのゲストを招いたりしました。福岡で始めた最初のコミュニティ活動でした。
それに福岡という街はやっぱり多様なんですね。エンジニアコミュニティに学生も多いし、けっこう女性もいる。いろんな年代のいろんな人がいて、“がめ煮”とか“ちゃんぽん”のような、ちょっと混じっているものをよしとする文化があるかもしれません。福岡自体、九州全体からいろんな人が集まっていますし。
── それで転職されても福岡に住み続けてリモート勤務されているんですね。
近藤 はい。Fukuoka.rbも毎週水曜日にミートアップを続けています。そういえば大名エンジニアカレッジもちょうどこの8月に第4期が実施されるそうですし、福岡のエンジニアコミュニティがさらに発展するとよいなと思います。
▶ Fukuoka Growth Next、エンジニア育成プログラム「大名エンジニアカレッジ by GMOペパボ」第4期を2022年8月に開講。受講生を募集開始。
父の言葉から立ち返った「ユーザーファースト」の大切さ
── 今後の話ですが、技術の追求とユーザーファーストのバランスをどのように考えていますか?
近藤 私の父は欄間彫刻の職人で、70歳を超えた今でもお寺の欄間を作っていたり、作品をインスタグラムに載せたりもしています。職人ですから、道具を大事にしているんですよね。彫刻刀だけで30〜40本あるんですが、それを一つ一つ自分で研いで、手入れしています。私も初めてRubyコミュニティに出会った当時は、技術や言語に対する熱量が高いことにすごく引き付けられました。そこで技術という道具を磨くことを覚えたことは、とても大切な経験だったと思います。
おそらくサービスを提供するには、道具を大事にすることと、ユーザーを大事にすることの両方が必要です。道具の大切さはRubyのコミュニティで認識できましたから、今度はユーザーを大事にするフェーズに行きたいというのが、今の私のスタンスです。バランス感覚を持ちたいというか、あらためてユーザーや事業、会社に必要とされているものって何だろうと考えたくなっています。
これもさかのぼると「世の中に必要な人間になりなさい」という父の言葉が思い起こされます。普段はくだらないことばかり話していたんですが、高校生のときに車の中でぼそっと言われて、今でもよく覚えています。この言葉には「職人は究極的に誰かのために作品を作ることが生業だ」という父の考えが表れているようで、Webに関わるエンジニアにも似たようなところがあるのかなと思います。
── この先はどんなキャリアを描いていく予定ですか?
近藤 最終的にどの会社に行きたいかといったこだわりは特にありません。合うところなら長くいるでしょうし、ちょっと違うなと感じたらまた次のポジションを探せばいい。今いるミラティブは、そういう意味では最初に言及した「ユーザーファースト」をすごく高いレベルでやっている会社だと思います。現職は技術やユーザに関わる課題としっかり向き合い、なおかつ成長できる環境だと思うので、できるところまでやっていきたいと思っています。やみくもに転職するのではなく、自分の軸を見据えながら、ナラティブを積みながら、キャリアを進めていきたいですね。
そういう意味では、やはり「必要な人間」ということに尽きるのかもしれません。これまでのキャリアである程度は道具を磨くことができたので、この道具を使ってユーザーや世の中に価値を届けるにはどうすればいいか。そういうことを考えながら仕事を続けていければと思います。
制作:高橋睦美・はてな編集部
近藤 宇智朗(こんどう・うちお)
株式会社ミラティブ、インフラ・ストリーミングチーム所属。豊橋出身、2008年に東京大学文学部を卒業後、マスコミで記者になるはずが、社内SEとしてエンジニアキャリアの第一歩を踏み出す。Ruby on RailsによるWebサービスの構築などに携わり、Rubyコミュニティでもアクティブに活動。2013年に子供の誕生を機に福岡にIターンし、GMOペパボの技術基盤チームで、サービス立ち上げの支援やデータ基盤など全社基盤の運用開発を実施。2022年5月に福岡在住のまま転職し、現職。
ブログ:ローファイ日記。